PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば
雷の後。

大下ヒロトのいつかの君とつながりたい。第25回

雷の後。

俳優という仕事や、自身の日々の葛藤を綴ったInstagram「大下ヒロトの青春日記」が話題の俳優・大下ヒロトさん。映画好きな大下さんが、青春にまつわるテーマと自身と映画を交錯させて“等身大の今”を語るコラムです。
閉じこもっていた長い時間、一歩踏み出すと、思いがけない出会いが待ち受けているのかもしれない。今回のテーマは「舞台」です。
俳優
大下ヒロト
Hiroto Oshita
1998年2月28日生まれ、岐阜県出身。
2017年に映画『あみこ』(山中瑶子監督)でデビュー。
主な出演作に、映画『あの頃。』(21/今泉力哉監督)、『連続ドラマW 鵜頭川村事件』(22/WOWOW)、DMM TVオリジナルドラマ「ケンシロウによろしく」(23/脚本:バカリズム)など。
今後の待機作に、日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS 系/2024年10月20 日(日)午後9時~放送スタート)など多数控えている。

お客さんの拍手の影響で、自分の涙が溢れ出しそうになり、我慢したのは初めてだった。一言を求められたが、あまり作品への想いを言葉で伝えるのは苦手で、しどろもどろで少しだけ話した。稽古を含めて1ヶ月半の舞台『雷に7回撃たれても』が、終わった。記憶があまり無い。

10月1日。顔合わせと本読みがあった。本読みは苦手だ。座ったままで、強いエネルギーを持つ言葉が言えないのだ。終わった後、僕は1ヶ月半の間、みんなに不安を与えないか不安になった。
稽古は3日から始まるので、2日は休みのはずだったが、僕は引っ越しをする予定があったのに家を見つけるのが遅くなり、2日に引っ越しがあった。約5年住んだ家を出た。あっさりと、出た。

稽古5日目。既に稽古が始まってどのくらいなのか、どれだけ終わったのか、わからなくなった。怖くなり、いつもカレンダーを見て日付を確認していた。芝居での変化はもちろんあったが、生活の変化があまり無くなっていた。だから、記憶があまり無いのだと思う。僕はどうにか毎日の生活の変化を求めていた。

毎日、電車で一時間半かけて稽古場へ行く。路線を変えてみたり、所々歩いてみたり、とにかくいろいろな方法で稽古場まで向かった。稽古場の前には物凄く長い、長い坂がある。この坂に関しては、自分の中でなぜか救いになっていた。力が湧いてくるのだ。いつも爆音で色んな種類の音楽を聴き、脚に力を入れて、坂を登った。毎日違う服を着た。6年ぶりに着るような服を何度もタンスから出した。毎日違うことをすることで変化を求めていた。
稽古場についてからまずする変わらない習慣もあった。それは、稽古場で買える、一杯100円のコーヒーを買うこと。受付で支払うとコーヒーの元みたいなものとコップが貰える。それを機械に入れて60秒ほど待つ。外に出て座り込み、コーヒーを飲む。今日稽古するシーンのこと。昨日、演出家に言われたこと。全てを振り返り、今日どんな気持ちで芝居をするのかを考える。
お昼になれば、毎日違う人たちと違うお店にご飯に行った。稽古後半は、お弁当を作った。鶏胸肉とご飯のお弁当。体も絞りたかったので、毎日、鶏胸肉の味付けを変えて低温調理させて作った。

稽古半ばくらいで、1人で近くの街に飲みに出ようと思った。この日の夜のことは覚えている。全く関係のない人と、話したくなったのだ。カウンター7席くらいの居酒屋に適当に入るが、この店の会話は僕にはあまり合わなかった。頼むから僕に話しかけないでくれと思ったが話しかけられた。ご飯は美味しかった。もう今日はこのまま家に帰ろうと思ったが、店を出る時に、お店の方に「良い夜を」と言われたので良い夜にしたいと思った。
良さそうなバーに行こうとしたが、閉まっていた。ラーメン屋に並んでみたけど途中で疲れてやめた。ジャズ喫茶に入った。素晴らしいジャズが流れていた。カウンターに座ろうとすると断られて、テーブルに案内された。僕は、カウンターではダメですか?と聞いたら、空席なのに予約がいっぱいだと言われた。僕は誰かと話したいのである。じゃあ今日は大人しく帰るかと思ったが、帰ろうとした時、マスターに「うちは基本的にはカウンターを使わないんですよね」と強気に言われた。「それは、どうしてなんですか?」僕も強気だが、そうした感じをできる限り出さずに聞いた。「話すのが面倒だから」と言われた。僕はその言葉でなぜかそのお店に吸い込まれた。大きな古いスピーカーから流れる、大音量のジャズを聞く。コーヒーを頼む。片手に台本を読んでみたりして、やめたりする。それは心が音楽だけになってしまったから。ゆっくりとした時間が流れる。お店を出ようとすると「変な店ですみませんね」とマスター。「いいえ。また来ます」 このお店には結局舞台が終わるまでに何回も行った。

電車で家に帰る。長い道のりだ。隣の顎マスクのおじさんが僕の方を見て、「電気代が。電気代が」と叫んできた。僕は、「高いですよね」と答えた。不思議な空気が流れた。
「おやすみなさい」「おやすみなさい」
みんな、不満や不安に耐えているのだろうか。何のために自分がこの仕事をやっているのか。芸術にはどんな力があるのか。どんな力も無いのか。考えた夜だった。

本番が始まった。本番が終わった。すべてが本当に一瞬だった。
目の前にはお客さんが全員立っていて僕達に拍手をしてくれていた。
舞台が終わった。終わった瞬間に熱が出た。びっくりした。片付けなければいけない楽屋に、1時間座っていた。体が重い。両親が近くのホテルで泊まっていたので、そこで3時間ほど寝た。起きると体が少し楽になり、打ち上げがあり、向かったのだが、この日の自分は本当にダメだった。ずっと感情という感情が消えていった感じだった。
明日から休みだ。朝早く目が覚めた。1ヶ月半早起きだったからだろう。荷物まみれの新居は、未だに荷物まみれだった。

映画を観ようかと思ったが、あまり映画を観る気分になれなかった。
時間だけが過ぎて行った。
気付いたら2024年になっていた。
映画を観よう。僕は毎年、年始におばあちゃんと一緒に映画を観ている。できる限りおばあちゃんが眠らなそうな映画を観る。一昨年はおばあちゃんを寝かせてしまったので去年は『RRR』を観た。約3時間ある映画だったが、おばあちゃんは起きていた。今年はもう少し派手じゃない映画を観たいなと思い、イエジースコリモフスキの『EO イーオー』を観た。ロバのEOの目線で、世界が描かれていた。
もちろんロバは、芝居をしていないし、ロバの言葉も聞こえてこない。だけどこの映画が不思議なのは、ロバの心が映っている気がするのだ。もちろん、ロバの心はこうあって欲しいという僕の心の存在も理解しているが。 最初、EOはサーカス団にいるカサンドラと幸せに暮らしていた。しかし、動物愛護団体によりサーカスは廃業し、EOは農場に連れていかれた。
EOの目は寂しそうだった。カサンドラは農場を見つけ、EOに会いにくる。だが、男と次の人生を求め去って行った。EOは、農場を飛び出し、カサンドラを追いかける。だがもう手遅れで森に迷い込んでしまった。EOは、それから初めて触れる、人間も含めた野生的な存在に触れていくのであった。
映画が終わり、夕飯を食べている時、おばあちゃんが突然「ハワイに行きたい」と言った。こんなことをおばあちゃんに言われるのは初めてだった。
2024年が始まった。今年はどんな映画に出会えるのだろうか。どんな映画に出演できるだろうか。映画が存在する意味をどれだけ理解できるのだろうか。 2024年になった。

PROFILE
俳優
大下ヒロト
Hiroto Oshita
1998年2月28日生まれ、岐阜県出身。
2017年に映画『あみこ』(山中瑶子監督)でデビュー。
主な出演作に、映画『あの頃。』(21/今泉力哉監督)、『連続ドラマW 鵜頭川村事件』(22/WOWOW)、DMM TVオリジナルドラマ「ケンシロウによろしく」(23/脚本:バカリズム)など。
今後の待機作に、日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS 系/2024年10月20 日(日)午後9時~放送スタート)など多数控えている。
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