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タルベーラの警告

大下ヒロトのいつかの君とつながりたい。第26回

タルベーラの警告

俳優という仕事や、自身の日々の葛藤を綴ったInstagram「大下ヒロトの青春日記」が話題の俳優・大下ヒロトさん。映画好きな大下さんが、青春にまつわるテーマと自身と映画を交錯させて“等身大の今”を語るコラムです。
閉じこもっていた長い時間、一歩踏み出すと、思いがけない出会いが待ち受けているのかもしれない。今回のテーマは「行きつけのバー」です。
俳優
大下ヒロト
Hiroto Oshita
1998年2月28日生まれ、岐阜県出身。
2017年に映画『あみこ』(山中瑶子監督)でデビュー。
主な出演作に、映画『あの頃。』(21/今泉力哉監督)、『連続ドラマW 鵜頭川村事件』(22/WOWOW)、DMM TVオリジナルドラマ「ケンシロウによろしく」(23/脚本:バカリズム)など。
今後の待機作に、日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS 系/2024年10月20 日(日)午後9時~放送スタート)など多数控えている。

初めてタル・ベーラの作品を観たのは、21歳の頃だ。
近所のバーで飲んでいると、『サタンタンゴ』が再上映されるという話を聞いた。僕は家に帰り、考えた。約7時間もある映画を映画館で観るのは、相当な体力を使う。しかし、これを逃したらいつ映画館で観られるのか分からない。という恐怖から、次の日に『サタンタンゴ』を観に行った。壮大な映画だった。一つ一つの絵の迫力が物凄かった。しかし、長回しの絵に耐えられる集中力が無く、この映画のことが当時の僕には全く理解出来なかった。そして、分からないものは分からないとして、閉じ込めてしまったのだ。それから、僕はタル・ベーラの作品を観ることを諦めてしまっていた。

それから4年経った、今年の7月。
僕は、映画館でとあるポスターを見かけて、動けなくなったのである。タル・ベーラの『ヴェルクマイスター・ハーモニー』のポスターを見かけたのだった。髪がボサボサの男が、目を見開き、何かを見ているのである。
僕は、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を映画館に観に行った。
映画が終わり、僕は、たしかに、この映画の力を心で受け取った気がしたのだ。なぜか分からないが 主人公のヤノーシュは、村の青年で天文学を好んでいた。ヤノーシュは、エステルという音楽家の老人の世話をしている。エステルは、部屋でヴェルクマイスター音律というものへの批判を録音して、記録している。エステルは言う。

「ここで想い起こすべきことは、もっと幸福だった時代のこと。ピタゴラスの時代だ。我々の先祖は満足していた。純粋に調声された楽器が、数種の音を奏でるだけで。何も疑うことなく、至福の和声は神の領分だと知っていた。」 「ヴェルクマイスターの平均率は最大の妥協である。しかし、これなくしてバッハの『クラヴィア曲集」は今に残されなかった。ヨーロッパ文明は妥協の産物である。」

時代が進むにつれて、教会で演奏されるような単音の音楽ではなく、複数のメロディーや転調の文化へと変化していった。つまり、音楽が多様化すればするほど、ピタゴラス音律で調律された楽器では、汚い和音が出てしまうらしく、それで考えられて出来たのが、ヴェルクマイスター音律らしい。
映画の中で、街に突然プリンスという人物が大きなトラックを連れて現れる。
ヤノーシュはお金を払い、トラックに入るとそこには一体の見世物のクジラがいるのである。 それから広場には、彼に煽られるように徐々に人々が集まり、やがて暴動が始まる。 街を破壊していく人々。

僕は最近、街が破壊された瞬間を目撃した。
タルベーラを知ったきっかけの、あのバーがあった場所が、再開発で何もかも無くなってしまった。僕は悲しかった。
世界は、動き続ける。それを、受け入れる事が大事なのだろうか。妥協する事が大事なのだろうか。本当に再開発が嫌なら、僕は都知事選に立候補して当選して、再開発を止めるために動いていけばいいのだろうか。
見過ごしてしまった先の破滅は、責任は誰が取るのだろうか、しかし、見過ごさず、目を見開き見つめて行った先にも破滅は存在する。ヤノーシュが、ヘリコプターに追われ精神を病ませた様に。

行きつけのバーに行った。
バーに入ると、女性が1人、机に突っ伏して眠っていた。僕は、できる限り関わらないようにしようと静かにお酒を飲んでマスターと話していた。
すると、女性が急に起き上がり僕の隣に座り、暴れ出した。すごく攻撃的だった。マスターが「いい加減にしろ。甘えるな」と強く言う。僕がこのお店に入ってくる前にもきっと色々あったのだろう。その女性は僕に「なんで怒られなきゃいけないの!?」と話しかけてきた。
僕は「静かにしていたら、誰も何も怒らないよ」と言った。沈黙。この状況が終わると思っていたが、全く終わらなかった。
彼女は僕に「なんで生きているの?」と聞く。突然の質問に、自分は言葉につまり、なぜ生きているのかを考えていた。その瞬間マスターが「生まれたからだよ。お前何かあったんなら言ってみろ」と彼女に聞いた。
そして、彼女は落ち着き、悩みを話し始めたのであった。
僕が彼女に伝えたのは、沈黙である。この場所で生きていく為に沈黙して、落ちついてお酒を飲めばいいと。それはどうやら根本的な解決には何一つ近付いていないのかもしれない。このお店のオーナーが伝えたのは、会話である。 それがきっと、社会がどれだけ動こうと何も変わらない愛のあるヤノーシュとエステルの関係性に近いのだろうと信じたい。

僕はヤノーシュの様に、目を見開き、観想していたい。どんなに世界がおかしくなり、目を背けたくなっても、観て、想うことをやめない。 「横に座ってあげてください」と席を譲ったら、子どもが咄嗟に母親から携帯を借りて見始める時代、日常にいくつも重なる瞬間を、私はどのような感情で見つめたらいいのか。
虚無感か、いやそれは逃げである。断言する。 この世界が変わらないと思い、仕方がない事だと悟る事は、自分が幸せな状況であるからである。きっと、状況が変われば、他の人に他の国に助けを求めるだろう。そうして私も、同じく、片足を突っ込み、助けを求めスマートフォンで文章を書くために、慣れた親指を必死に動かしている。

遠い昔、ハンガリーでタルベーラが鳴らした警告が、今も鳴り響いている。

PROFILE
俳優
大下ヒロト
Hiroto Oshita
1998年2月28日生まれ、岐阜県出身。
2017年に映画『あみこ』(山中瑶子監督)でデビュー。
主な出演作に、映画『あの頃。』(21/今泉力哉監督)、『連続ドラマW 鵜頭川村事件』(22/WOWOW)、DMM TVオリジナルドラマ「ケンシロウによろしく」(23/脚本:バカリズム)など。
今後の待機作に、日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS 系/2024年10月20 日(日)午後9時~放送スタート)など多数控えている。
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