それは2014年5月のこと。透明な淡水色の空に、心地よい風。両親を連れて小豆島と直島へ、新婚旅行に行った。
岡山と小豆島を結ぶ小ぶりなフェリーに乗る。わたしと旦那さんはもう4度目なので、ずいぶん乗り慣れたものだ。鮮やかなマーメイドグリーンの床がまぶしい屋上から、瀬戸内海に浮かぶ島々を眺める。旅のはじまりにふさわしい、すこしセンチメンタルでやさしい気持ちになれる場所。
「両親と新婚旅行に行きました」と言うと、だいたい驚かれる。決してすごく仲がいい家族というわけではない。だけど、いま行くとしてもきっと、両親を連れて行ったと思う。
ハワイでもフランスでもなく、行き先は小豆島。見せたい景色がたくさんあると、迷いなく決めた。小豆島の玄関口である土庄港で船を降り、オリーブ園や醤油蔵をぬけて、反対側の港町へ向かう。瀬戸内海を見渡す海岸沿い、木下惠介監督が映画『二十四の瞳』(1954)を撮影したロケ地がある。戦前から戦後まで、小豆島で教鞭をとる大石先生とその生徒たちの日々を描いた物語。誰のせいでもなく日々がすこしずつ変わっていく戦争の最中、虚しさに一筋の光を見つけ懸命に生きる先生と生徒たちの姿には、何度も泣かされた。また、その背景に映り込む山や海、生命力溢れる小豆島の景色が悲しいほど美しい。
かつてのロケ地は、現在「二十四の瞳映画村」として保管されている。セットを模した教室の窓から瀬戸内海を眺めていたら、わたしの母が急に教壇に立ち、大石先生の劇中セリフ(のようなもの)を言い始めた。わたしたちも席につき、名前を呼び上げられると「はい」と勢いよく手を挙げた。旦那さんのお母さんは、『二十四の瞳』を観たことがないと言っていたのに、笑いながら一緒に『二十四の瞳』ごっこを楽しんでくれた。
映画村には映画館があり、『二十四の瞳』が毎日上映されている。両親はその映画館へ迷うことなく入っていった。わざわざこんな遠くまで舟を乗り継いでやってきて、映画を観る家族も珍しいよなと思いながらついていく。さすがに相手の親を気にしてか、全篇は観なかった。
館内では、船の上で歌の上手な生徒が「浜辺の歌」を歌うシーンが流れていた。太陽の光を反射してきらめく水面にのびやかな歌声が反響する。小豆島の静かな海に浮かぶ舟には大石先生と生徒がぎゅうぎゅうに座り、今この瞬間を大切に感じ取っているようにみえた。わたしたち家族は、喜びなのか、悲しみなのか、それぞれ目を潤ませてスクリーンを見つめていた。
「ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる
寄する波よ返す波よ 月の色も星のかげも」
この景色が、もう一度観られるかどうかは、わからない。
亡くなってしまった生徒や、離れ離れになってしまった仲間たち。戦争によって大石先生と生徒たちに同じ季節や景色がやってこなかったように、当たり前の日常なんてないんだと思った。日々は小さな変化と決意を重ねながら紡いでいるもので、なんとなく生まれているものではない。
この新婚旅行で過ごした時間を、もう一度味わうことはできるのだろうかと考えると、心がざわざわとした。映画館の外に出ると瀬戸内海がちらっと視界に入ったので、じっくりと眺め直した。映画に出てくる景色と同じ、静かで光に照らされた海は心をたいらにしてくれる。木下惠介監督は美しいものが好きだったという、だからここを選んだのだろうか。
三泊四日の慌ただしい旅行だったが、両親はとてもよろこんでくれた。はじめてみる景色に心から感動し、「ありがとう」と何度も言ってくれた。小さなころから、親にはさまざまな感動を教えてもらってきたけれど、大人になったこれからは互いに教え合うことができるんだと、ふと思った。
わたしに相手を受け入れられる度量があるかはわからない。でも、教えてもらえたら聞きたいし、素敵なものに出会ったら教えたい。喜びを分かち合う、そうやって日々を紡いでいきたい。
旅行中は、両親が互いの子どものころの話をよくしていた。いつかわたしも、自分の子どもが感動したことに出会いたい。その目で見た感動を教えてほしい、そう思う新婚旅行だった。