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でも、この溢れる想いは言葉だけじゃ伝えられない!
映画に描かれた様々な「愛を伝えるシーン」から、言葉やキスやハグだけではない“大切な人への愛の表現” を紹介します!
『バッファロー’66』から学ぶ
“愛の伝え方”
静かに手をつなぎ
互いの温もりを感じる「ビリーとレイラが、ダブルベッドで手をつなぐシーン」より
最近、誰かと手をつなぎましたか? それは家族だったり、恋人だったり? 思い返せば、久しく誰かと手をつないでないな、と思う人もいるのではないでしょうか。
「手をつなぐ」ことは、特別な行為なのかもしれません。恋人と別れるときはいつも、「そうか。もうこの人と手をつなぐことはないのか」と寂しく思ったものです。人を好きになるときも、「キスしたい」「抱きしめてほしい」といった思いよりも先に「手をつなぎたい」と望むタイプでした。それはなぜだろう? と考えたときに思い出したのが、20代前半に観た映画『バッファロー’66』(1998)です。
『バッファロー’66』は、ヴィンセント・ギャロが監督・脚本・主演・音楽を手がけたラブ・ストーリー。刑期を終えたばかりのビリー(ヴィンセント・ギャロ)は、5年ぶりに実家へ電話し「フィアンセを連れて帰る」とウソをついてしまいます。恋人すらいないビリーは、近くを通りかかったレイラ(クリスティーナ・リッチ)を拉致し、実家でフィアンセのように振る舞うことを強要します。癇癪持ちで気難しいビリーに最初こそ渋々従っていたレイラですが、ビリーと両親の会話から彼の置かれた境遇や孤独な心を理解し、優しく包み込んでいくのでした。
そんなふたりがモーテルで過ごす夜。恋愛経験がなく、唯一憧れていた女性にも裏切られたビリーは、自分に寄り添おうとするレイラを頑なに拒みます。子どものような態度をとるビリーに対して、レイラはどこまでも大らかでした。ダブルベッドの端で縮こまり、自分のほうを見ようとしないビリーに手を伸ばし、静かに手をつなぐレイラ。緊張していたビリーの心も、手の平から伝わるレイラの温もりで徐々に解けていき、ふたりは互いにとってかけがえのない存在になっていくのでした。
ビリーとレイラがダブルベッドの上で手をつなぐシーンを初めて観たとき、ふたりに対する愛おしさで胸が締め付けられたことを覚えています。“手をつなぐ”という、たったそれだけのことが、なぜこんなにも心に突き刺さるのか。それはおそらく、幼少期の思い出と関係があるのではないかと思います。幼かった私にとって、父や母とつないだ手は決して離されることのない安心感があり、その温もりは“尊い記憶”として蓄積されたのでしょう。しかし『バッファロー’66』のビリーには、幼少期に両親から愛された思い出がありません。だからこそ、レイラと手をつなぐシーンは余計に私の心を締め付けたのだと思います。
キスよりも、抱き合うよりも、自分の心を安心して預けられる相手と手をつなぎたい。この人は「手をつなぎたい」と思える人だろうか? 私のなかで、“好き”の基準はいつでもそこにあったような気がします。
“好き”の基準は人それぞれ。あなたの場合はいかがでしょうか?