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インドと『シティ・スリッカーズ』
今思えば、旅が好きで旅に焦がれていた時期は本当に長かった。20年くらいだろうか。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と詠んだのは、松尾芭蕉だ。当時の水野“芭蕉”仁輔は、旅に焦がれていても夢で世界をかけ廻るしかなかった。焦がれて、焦がれて、ついにあのときの僕は、サラリーマンを辞めたのだ。誰に気兼ねすることもなく、行きたい国に行ける自由を手にし、リアルに世界中をかけ廻った。
旅は最も効果的なインプットを得る手段だ。まだ見ぬカレーやスパイス料理を求めて旅をしたかったから、長期的な休みを取れないサラリーマンという身分に窮屈を感じていたのだ。
映画『シティ・スリッカーズ』を観始めたとき、ラジオ局で広告枠の販売をする主人公のミッチにはすっと入り込めた。そして、彼のおかれた境遇にサラリーマン時代の自分を重ね合わせ、思い出したくない過去を思い出してしまった。頭がグルグルしないように気を付けながら、映画の世界に没頭できるよう努める。
最近、仕事に身が入っていないんじゃないかと上司に指摘されたミッチは、思い切って2週間の休みを取り、仲間のフィル、エドと共にカウボーイ体験ツアーにでかける。自分を探すつもりはなかったかもしれないが、現状を打破する手がかりを旅に求めたのである。
広告会社のコミュニケーション・プランニング局(だったかな、たしか)に所属していた僕は、ある春の日、40名ほどの局員と一緒に大会議室の椅子に座っていた。前方のスライド前にいる局長が、年度の決意表明演説的なものを始める。冒頭で局長がスライドに表示した言葉を見た途端、僕は固まってしまった。
「人の心を動かすマーケティング」
巨大な文字でそう書いてある。「今年の方針はこれで行く」と局長は言い、局員たちは頷いた。僕は意味が分からず頭が混乱し、目が泳ぐ。しばらく具体的な解説が続き、何人かの同僚たちが意見を求められ、誰もが前向きに自分なりの解釈を話す。僕は困ってしまって、黙ったままうつむいた。わからない。意味がわからなかった。ダメかもしれない。広告業界で働き始めて20年。あれほど大きな挫折を感じたのは初めてだった。あのとき僕が『シティ・スリッカーズ』をすでに観ていたとしたら、すぐにでもカウボーイ体験ツアーに参加したくなっていただろう。
都会生活に慣れたやわなオジサンたちが、大草原で馬にまたがり、牛を追う。予測のつかないハプニングが次々と起こる。ミッチはとにかく保守的で何事も後ろ向きに捉えてしまい、不安が先行して動けなくなる性格。一方、フィルやエドは天然だったり破天荒だったり、底抜けに明るい一面があったりする。まるでタイプの違う3人が、オロオロとしながらも適度なバランスで目の前の問題を切り抜けていく。
大自然を相手に大きな試練が襲ってきたりもするが、大いなる愛と勇気を持って彼らは立ち向かった。現実的には考えにくいストーリーなのだが、それでも3人に肩入れしていく自分がいる。
何日もかけて牛の群れと共に移動する彼らを眺めながら、頭の片隅にときおり“あのときの挫折感”がフラッシュバックする。映画に没頭しようとする自分を邪魔するのだ。
大会議室で黙りこくる僕。早くこの時間が終わってくれないかな、と思い始めていた矢先に局長の声が飛んだ。
「水野は? どう思う?」
ほんの少しの沈黙の後、僕は意を決して口を開いた。
「マーケティングで心が動くということがどういうことなのか、僕にはわかりません」
直後、水を打ったように室内は静まり返った。打った水が瞬時に凍り付いたかのようだった。その後の展開はあまり覚えていないが、あの発言をした会議室の光景は、自分の座っていた席の位置まではっきりと記憶に残っている。
年度の方針を決める大事な会議であんな風に空気を読めない発言をしてしまったのは、前日の日曜日に観た映画の影響だ。『借りぐらしのアリエッティ』を映画館で観た。映画が終わり、エンドロールが流れ始めたところでちょっとした事件が起こった。
たまたま僕の隣りに座っていた幼稚園児が、突然、館内に響き渡るような大声で号泣し始めたのだ。驚きのあまり、息が止まりそうになった。全員の注目が僕の隣りの席に集まる。彼は一向に泣き止まない。一緒にいたご両親は、本人が泣き止むまで見守ることに決めたようで、黙って子供を見つめている。きっとこのご両親もいろんなことを思っただろうし、僕だって感じ入るところがあった。そう、僕は映画で人の心が動いた瞬間を目の当たりにしていたのだ。
静まり返った会議室で、号泣する幼稚園児を思い出す。きっとマーケティングで人の心が動くこともあるのだろう。そう信じている人たちが僕の周りにたくさんいる。それがこの仕事のやりがいだろうし、そう思えることが適性なのだろう。だとしたら、僕にはこの仕事を続ける素質が足りていないのかもしれない。
ミッチがカウボーイ体験で心を通わせたのは、集団を率いる正真正銘のカウボーイ、カーリーだ。強面の初老の男性。多くを語らず朴訥としているが、目つきは鋭く、一挙手一投足に迫力がある。仲間のいざこざなどは一喝して黙らせる。
カーリー:人生の秘訣は何だ?(Do you know what the secret of life is?)
ミッチ:知らないね。(No.)
カーリー:これだ。(This.)
ミッチ:指かい?(Your finger?)
カーリー:1つさ。1つだけという事だ。それに頼れば、ほかはどうでもいい。(One thing. Just one thing. You stick to that and the rest don’t mean shit.)
ミッチ:それはすごい。その1つって何だ?(That’s great but, what is the “one thing?”)
カーリー:自分で考えろ。(That’s what you have to find out.)
くわえ煙草で人生の大事な教訓を伝えたカーリーは、旅の途中で眠るように死んでしまう。
1つさ。自分で考えろ。
1つさ。自分で考えろ。
1つさ。自分で考えろ。
この映画を通して伝えたいメッセージは、これに尽きるだろう。でも極めて難解な問いかけだ。頼るべき1つが僕にとってマーケティングであるはずがない。1つなら、あれしかないよな。
20年続けたサラリーマンを辞めてカレーという“1つ”に決めたのは、もう5年ほど前になる。傍から見れば独立後が「あの人はついにカレー1つに絞ったんだな」となるのかもしれない。でもカレー活動も20数年続けているわけで、自分の中ではずっと前から「カレー1つさ」ということだった。でも、カーリーがミッチに伝えた“1つ”とは、仕事や活動の選択についてではないことも理解しているつもりだ。
カレーでやると決め、カレーと向き合った先に見つけることができるかもしれない何か、本質的かつ普遍的に大事にするべき何か1つのことについて言っている。それが見つかれば、それに頼れば、確かに他のことはどうでもいいのだろう。旅の先に僕はそこにたどり着くことができるだろうか。
僕は妄想する。誰もいない広い会議室の中で、スライドの前に僕が立っている。バーン! とスライドに大きな文字が映し出された。
「人の心を動かすカレー」
静まり返った会議室で自分の声が響き渡る。
「これからの方針はこれで行く」
シーン。そこには誰もいないのだから、賛同してくれる人も当然いない。いやいや、違うな。違う。そもそもカレーで誰かの心を動かしたいだなんて思ってはいない。旅の先に求めるものは、自分自身の心が動く何かなのだから。いつまで経ってもたどり着けそうもなかったら、やっぱり僕もカウボーイ体験ツアーに出るしかないと思っている。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』