PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

嗚呼、こんなにも魅惑的な登場人物たち! 第16回

スカーレットはいじわるキャラ?女性が自分で人生を決め、自分の力で生き抜くということ『風と共に去りぬ』

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
名作映画の中の思わず魅惑されてしまった登場人物にスポットをあて、映画を紐解く「嗚呼、こんなにも魅惑的な登場人物たち」。今回は『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラに注目! どんな映画の世界が見えてくるのでしょうか?

スカーレットとメラニー

子どもの頃に見ていたアニメや漫画のキャラクターには、よく「意地悪な女の子」が登場しました。たいていはお金持ちのお嬢様で、健気で頑張り屋の主人公に強く当たったり、バカにしたりします。彼女たちは皆どこか外見も似ていました。少し釣り目で、ウェービーなロングヘアで、いつもオシャレ。そういうキャラクターが出てくると、物語が展開する前から「この子は意地悪で、主人公の邪魔をするんだな」と自然と認識していた気がします。

だから、少女時代に初めて『風と共に去りぬ』を観たときは驚きました。いわゆる「意地悪な女の子」が主人公になることはないと思い込んでいたのに、ヒロインのスカーレット・オハラはまさに典型的な「意地悪な女の子」キャラだったのですから。目尻がキュッと上がった美しい瞳に、ウェーブがかった豊かな黒髪。大きな農園に生まれたお嬢さまでいつも男性からチヤホヤされていて自信満々。口から出てくるのは自慢と不平不満ばかり……幼い頃から何度も目にしてきた「意地悪な女の子」像が実写となって目の前にいるとしか思えませんでした。しかし、大人になってから再会したスカーレットは、私にまったく異なる印象を与えたのです。

ジョージア州のタラで生まれ育ったスカーレット(ヴィヴィアン・リー)が、南北戦争での南部の敗北を乗り越えて逞しく生きぬく様を描いた大河ロマン『風と共に去りぬ』は、上映時間231分にも及ぶ大作です。プライドが高く、生きるためには手段を選ばずに他人を平気で利用するスカーレットは、私が少女時代に受けた印象と同じように、しばしば「わがまま」「自分勝手」「性格が悪い」などと評されます。実際、作中でもスカーレットは周囲から疎まれていますし、頻繁に陰口を叩かれます。

対して、スカーレットの従姉妹であるメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)は心優しく誰にでも公平で、完璧な女性として描かれています。スカーレットは、男性からモテモテですが、心に想っているのは幼馴染のアシュレー(レスリー・ハワード)だけでした。しかし、アシュレーはメラニーと結婚。納得がいかないスカーレットはメラニーの兄チャールズ(ランド・ブルックス)と当てつけのように結婚します。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

メラニーはスカーレットの恋敵ともいえる立場ですが、ふたりは最初から最後までずっと離れることはありません。誰からも嫌われるスカーレットと、誰からも好かれるメラニー。いわばメラニーは典型的な「健気なヒロインキャラ」であり、「意地悪な女の子」キャラのスカーレットとは正反対です。しかし、2人は対立することなく寄り添いながら過酷な時代を乗り越えていきます。2人が結婚後、ほどなくして南北戦争が勃発。チャールズは戦死し、スカーレットは未亡人になりアトランタへ。野心家で悪評が高いレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)から求愛されたものの、アシュレーを愛しているスカーレットは拒絶します。

序盤ですでにスカーレットは「イヤな女」という印象を観客に与えます。思ったことはオブラートに包むことなく何でも言葉に出しますし、好戦的です。思い込みも激しく、愛するアシュレーも本当は自分のことを愛していると信じて疑いません。周りを見下した態度は反感を買い、母親とメラニー以外の女性からは嫌われています。少女時代の私もまた、「なんて高慢ちきなヒロインなんだ。見下されているメラニーが気の毒!」と思ったものです。

しかし、性格にクセがあるとはいえ、メラニーと婚約したアシュレーに抗議こそすれど不貞を働いたわけではありませんし、愛がないとはいえチャールズとの結婚も求婚に応えたにすぎません。アシュレーを奪ったメラニーに対しても、内心はともかく面と向かって嫌がらせなどは一切しません。よく考えてみると、(当時の価値観では非常識な面は否めずとも)実際にそこまで悪しざまにいわれる行動を取っているかは疑問です。(もしかして、スカーレットはいわゆる「意地悪な女の子」ではないのでは?)と思い始めてところで、物語は前半のクライマックスへと突入していきます。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

やがて戦況は悪化し北軍がアトランタに迫ります。負傷兵の看護に駆り出されたスカーレットは文句たらたらで逃げ出したくなりながらも、アシュレーの子を妊娠しているメラニーのお産を助け、母子を連れてタラへと向かいます。愛するアシュレーから「メラニーを頼む」とお願いされていたスカーレットは、愚直に約束を守ろうとします。経験もないのに必死に赤ん坊を取り上げて、燃え盛る炎の中を馬車に乗って脱出するのです。途中で従軍するためにレットが去ってからは、拳銃を片手に馬車を操りタラを目指すスカーレット。大嵐にずぶ濡れになりながら、橋の下で馬を落ち着かせるために腰まで川に浸かる彼女の横顔は強烈なインパクトを残します。新生児と出産直後の弱った母体を連れて戦火や大嵐を駆け抜けるのがどれほど困難なことかは、出産を経験した今ならばわかります。いくらでも1人で逃げられるのに、彼女は決してそうしませんでした。

戦火の中で命からがら戻った故郷は焼け野原と化し、すでに母は死亡。父親は心を壊していました。ボロボロになったスカーレットは、荒れ果てたタラの大地で土が付いたままのニンジンにかじりつきます。そして、立ち上がり「神よお聞きください。この試練に私は負けません。家族に二度とひもじい思いはさせません」と神に再起を誓うのでした。

数えきれないほどの負傷者がスクリーン全体に広がっている映像や、大迫力のアトランタ炎上シーンなど、『風と共に去りぬ』のスケールの大きさを存分に感じることができるのがこの一連のシーンです。また、スカーレットの強い意志と行動力を示す重要なパートでもあります。

口ではどんなに身勝手なことを言ったとしても、アトランタからタラに行きつくまでの彼女の行動は徹頭徹尾利他的でした。初めて本作を観てから数十年の時を経て、私は自分の認識が間違っていたことに気付きました。スカーレットは健気な女の子の邪魔をする「意地悪な女の子」なんかじゃなかったのです。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

「本当のスカーレット」を見抜けていたか?

綿花の栽培をはじめたスカーレットは、屋敷に忍び込んだ北軍の兵士を射殺してメラニーと共に死体を処理するなど、なりふり構わずに生活を立て直そうとします。お嬢さま育ちのスカーレットでしたが、自ら手を泥だらけにすることも厭わずに野良仕事に邁進します。病弱なメラニーが労働力にならなくても責めることなく、誰よりも働く女主人。しかし、金銭的な危機が訪れたため、彼女は「妹の婚約者を奪う」というタブーを犯しました。農場に多額の税金が課せられることを知り、材木業で成功し始めていた妹の婚約者を誘惑して結婚したのです。

おそらく彼女の行動の中で最も責められているのは、この二度目の結婚でしょう。予定通りに妹を結婚させて、その代わりにいくらかの援助をしてもらうのではなく、自ら妻となり、夫のビジネスを取り仕切って拡大しようと考えました。スカ―レットにとっては結婚も戦略のひとつにすぎなかったわけです。結果として夫を騙して結婚し、妹の気持ちを踏みにじることになりました。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

傍から見れば、スカーレットは血も涙もない身勝手な守銭奴だったのでしょう。しかし、ある日スカーレットは暴漢に襲われ、その復讐に向かった夫は死亡。夫の死後スカーレットはこの罪を激しく悔やみ苦しみます。

そもそも、彼女の行動はすべて家族を飢えさせないためのものでした。夫が亡くなった経緯についても、メラニーが言った通りスカーレットに責任はありません。あくまでも彼女は被害者なのですから。それなのに、「襲われたのは自業自得」などと暴言を吐かれて、忌み嫌われてしまうのです。もちろん、二度目の婚姻中にアシュレーと決定的な不貞を働いたこともありません。それなのに、スカーレットは嫌われ、悪口を言われ、皆から避けられているのです。いつしか私はスカーレットを「意地悪な女の子」どころか、アンフェアな仕打ちを受ける気の毒なヒロインと見なしている自分に気付きました。

周囲から過剰に嫌われているスカーレットをさらなる悲劇が襲います。再び未亡人となったスカーレットはレットと結婚。2人の間には娘が生まれます。しかし、スカーレットが心に抱き続けるアシュレーへの想いにレットは嫉妬し、夫婦はすれ違っていきます。円満とは言えない結婚、そして流産、我が子の死。これだけで映画が1本できてしまうほどの不幸が重なりますが、スカーレットにはあまり悲壮感がありません。嘆き悲しむよりも立ち上がることを選ぶスカーレットは、周囲の人間の目には冷淡な人物に見えしまうのです。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

スカーレットの行動だけを並べてみれば、非難されるよりも称賛・同情される行いの方がずっと多いように感じます。多くの人の命や生活を助けましたし、何度も悲惨な不幸に遭いました。でも、少女時代の私はスカーレットを「意地悪な女の子」だと感じたし、そんなに同情もしなかったような気がします。

おそらくそれは、スカーレットの言葉や周囲の人々の評価に惑わされていたからです。どんなに利他的な行動を取っていようと、スカーレットの口からは素直ではない捻くれた言葉ばかりが溢れてきますし、メラニー以外のキャラクターはスカーレットの悪口を言い、抗議し、たしなめることしかしません。そういった表面的な言葉や、滅多に弱音を吐かない彼女の姿だけを見て、幼い私はスカーレットを「捻くれ者で意地悪で大して苦しんでいない人間」だと判断してしまっていたのでしょう。そうではないのに。そうではないからこそ、『風と共に去りぬ』が多くの人の心を掴んで離さないに違いないのに。

表面的にしかスカーレットを評価しない人物たちの中で、ただ一人彼女の本質を見抜いていた人物がメラニーでした。アシュレーとスカーレットの不貞のうわさを聞いて腹を立て、スカーレットを流産させたことを激しく後悔するレットに、メラニーは「うわさを本気になさるの? 私は人の口など信じません」と語りかけました。

メラニーは人のうわさ話を信じないのはもちろん、口から出てくる言葉ではなく行動を見る人でした。ここまで見てきたように、スカーレットは命をかけてメラニー一家と自分の家族を守り、自ら率先して目の前の道を切り拓いてきました。アシュレーへの恋は最後までプラトニックなものでしたし、メラニーに不義理を働いたことも一度もありません。妹から婚約者を奪い死なせてしまったことは事実ですが、激しく罪の意識に苛まれていました。メラニーから見たスカーレットはまさに命の恩人であり、誰よりも感謝したい相手だったに違いありません。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

『風と共に去りぬ』におけるスカーレットとメラニーは、表と裏のような存在であり、互いを映す鏡のように作用しています。メラニーはスカーレットの最大の理解者であり、スカーレットはメラニーを心から信頼して守り抜きます。本作を観る誰もが愛さずにはいられないメラニーから見たスカーレットこそが、「本当のスカーレット」であると気づいたとき、スカーレット・オハラという人間の魅力がハッキリと立ち現れてくるのです。

「貞淑であれ」「文句を言うな」「常識的な行動をしろ」「でしゃばるな」という世間の声をものともせず、誤解されようが嫌われようが自ら進んで行動して家族を救ったヒーロー。それこそがスカーレット・オハラなのだと私は思います。だからこそ、いろいろな世間の目に晒されて窮屈な思いをしている女性たちの憧れとなったのでしょう。幼い私は表面的なことばかりに捉われて、そのことにまったく気づけていませんでした。表面的なものではなく、行動を信じること。そうすれば、他者を守るために自分のすべてを賭けて行動し、心が潰れそうな悲劇にも負けずに生き続けるスカーレットが、いかに信用に足る人物であるかが見えてきます。

かつて親しんだアニメや漫画に出てきたたくさんの「意地悪な女の子」についても、私は表面的なものしか見ていなかった気がします。そういえば、大人になってからは『ガラスの仮面』は北島マヤではなく姫川亜弓に、『YAWARA!』は柔ではなくさやかお嬢さまに感情移入するようになっていました(姫川亜弓は「意地悪な女の子」ではありませんが)。「私は人の口など信じません」というメラニーのセリフを胸に、行動を見てフェアに判断できる大人でありたい。できることならば、スカーレットのように強くたくましく家族を守る人間になりたい。今はそう強く願っています。

©2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

※本作については、奴隷制度を正当化し美化しているという批判があります。有色人種に対するステレオタイプを助長する描き方を含め、本作の人種差別的な要素は到底肯定できるものではありません。偏った歴史認識が根底にあることを意識しながら鑑賞すべき作品だということを、最後に付け加えたいと思います。

BACK NUMBER
FEATURED FILM
PROFILE
映画・演劇ライター
八巻綾
Aya Yamaki
映画・演劇ライター。テレビ局にてミュージカル『フル・モンティ』や展覧会『ティム・バートン展』など、舞台・展覧会を中心としたイベントプロデューサーとして勤務した後、退職して関西に移住。八巻綾またはumisodachiの名前で映画・演劇レビューを中心にライター活動を開始。WEBサイト『めがね新聞』にてコラム【めがねと映画と舞台と】を連載中。
シェアする