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自分は「どんな瞬間」に心躍るのか?
大学3年生の頃、漫画が好きだから出版社に就職できたらいいなと漠然と思っていた。ただ、どうしたら出版社に行けるのかわからなかった私は、とりあえず大学近くのTSUTAYAでDVDを借りて、名作と呼ばれている映画を借りて観ることから始めた。出版社に行くのだから、映画を教養として観ておかないとまずいだろうと思ったからだ。
評価が高い作品をとりあえず適当に借りていったので、スティーブン・ダルドリー監督の『リトル・ダンサー』(2000)を手に取るのも当然の成り行きだった(リトルダンサーは5段階で星4の高評価だった)。当時の私は自分が暮らしていた寮にほとんど帰らず、友人の家でテレビを見たりゲームをしたりして日々を過ごしていた。その日も友人のアパートに行き、デッキに『リトル・ダンサー』のDVDをセットして、まるで自分のテレビかのようにリモコンを操作し始めた。
映画の舞台は、1980年代の、炭坑ストライキで閉塞感漂うイギリスの田舎町。うらびれた町だと一眼でわかる、ある種美しいロケーションにまず心を奪われた。そして主人公の少年、ビリー・エリオット(ジェイミー・ベル)の境遇も、町と同様閉塞感に満ちたものだった。弱冠11歳ながら、母親を亡くし、炭坑夫の父と兄はストの闘争の真っ只中で、軽度の認知症の祖母の面倒を自分が見なければいけない、そんな家庭環境のビリー。さらに、ビリーは父親から明らかに向いていないボクシングを習わされていた。そんな彼と町から漂う未来が見えない閉塞感は、当時の自分の心情と見事なまでにシンクロしていた。
その時の私は、出版社に行きたいとはぼんやり思っていたが、将来になんの明確なビジョンも持てていなかった。本当にやりたいと思えることも、2年も経たないうちに社会に出なければならないという危機感も切迫感も全く無かった。要は自分の人生を貫く「基準」がなかったのだ。周囲は「お金」「やりがい」「世間体」「家族」「貢献」「健康」「夢」……みたいなものを基準にして、とりあえず動き出していたのではないかと思う。でも、自分はそのどれにもしっくりときていなかった。もっと、自分が求めていたものは、素朴なものだった。当時は言語化できていなかったが、それはつまり「自分が何に感動し、どんな瞬間に心躍る人間なのか」を知ることだったと今ならわかる。それがわかれば、自分の人生の基準ができる。自分の将来や進むべき道は、その感情に向かって進めばいい。でも、それがわからなかった。
『リトル・ダンサー』という映画が自分にとって唯一無二なのは、そのひとつの答えを想像を超えた映像で示してくれたからだ。ビリーはひょんなことからバレエに魅せられ、踊ることに喜びを見出し、物語は動き出していく。そして、決定的な瞬間がいくつも訪れる。
初めてターンを決めた日の帰り、坂を駆け下りながら踏んだ喜びに満ちたステップ。バレエの先生と家族の板挟みになり、どうしようもない思いがマグマのように吹きこぼれたタップ。クリスマスの日に父親に初めて披露する、揺るぎない決意が込められたバレエ。そして、父と兄が見守る中で見せる最後の飛翔。
それら全てに、フィクションを超えた本物の躍動があった。ビリーの圧倒的な肉体のエネルギーが、画面を超えてくる。ただただ、彼が「踊る」。その単純で、しかし圧倒的な事実が、自分に突き刺さる。これは映画作品だから、全て“嘘”のはずである。でも、それらのシーンに嘘はひとつもないと私は思えた。全てが嘘の映像に、自分にとって紛れもない「リアル」が映し出されていた。
じゃあ今自分が見ているこの映像はなんなのだろうか? 嘘なのか? 本当なのか? 答えを出すことができない。でも、その“わからない”場所に、自分が立ち会えていることにとてつもない喜びを感じた。初めての感情だった。そう、これだったんだ。「自分は何に感動し、どんな瞬間に心躍る人間なのか」のひとつの答えがようやくわかった。自分はひとまず、それを「嘘と本当が(一見)矛盾なく混ざり合った純粋な瞬間」と解釈する。やっと、自分にとって世界で一番幸福な場所が見つかったのだ。
「自分は何を面白いと思い、何に感動する人間なのか」。これがわかるだけで、人生は何倍も楽しくなるし、明快になる。この問いの答えに出会えた時、そこから私は迷うことはなくなった。それは直接的に自分の選択に関係はしなくても、「それ」があるという事実が私にはとても重要で、勇気をもたらしてくれるものだった。私はとりあえず就職活動を辞め大学を休学し上京して、なんのあてもなかったが出版の世界に飛び込んでみることにした。もちろん悩んだり落ちこんだりすることはそれからも多々あったが、自分の将来に疑問を持つことは無くなった。
もし迷いそうになったら、ビリーの踊っている姿を思い出す。あのシーンに出会えた時の感情が、いつだって自分の道標になる。そしてまた、あの場所に向かって、走り出せばいい。
- 介護の中、夢を捨てずにいられたのは、あいつの「ただいま」が希望に向かわせてくれたから。映画『大脱走』
- 眠れない夜に私を救ってくれたのは、70年前の名作ミュージカル映画だった 『雨に唄えば』
- ままならない家族への感情……それでも確かに愛してる。『シング・ストリート 未来へのうた』で描く私の夢
- 嘘の中の紛れもない「リアル」。 いつまでも彼の踊る姿を観たいと思った 『リトル・ダンサー』
- 「どんな自分も愛してあげよう」 肩の力を抜くことができた『HOMESTAY(ホームステイ)』
- 映画って、こんなに自由でいいんだ。そんなことを気づかせてくれた『はなればなれに』
- 日々の選択を、愛ある方へ。自分を大切にするための映画『パパが遺した物語』
- 大丈夫。あなたが私を忘れても、私があなたを思い出すから 『43年後のアイ・ラブ・ユー』
- どうしたら色気を醸し出せるのか!?核心を隠すことで見えてくる、エロティックな世界『江戸川乱歩の陰獣』
- 幸せになるには、まず「幸せに気づく」こと。こんな2020年を希望にかえて締めくくる『食堂かたつむり』
- 仕事も休めばいい、恋もなんとだってなる。人生の舵は、自分が握っているのだ『嗤う分身』
- 号泣したワンシーンが、思いを届けるきっかけになる『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
- 「私の人生、まんざらでもないのかも」見過ごしていた“当たり前”に魔法がかかる『顔たち、ところどころ』
- 東京という大きな「生き物」が、 人生の岐路に立つ人を静かにつつんでくれる『珈琲時光』
- 狂気を殺さない!愛してみる。生きていく『逆噴射家族』
- 動き出さない夜を積み重ねて、たどり着く場所がきっとある『ナイト・オン・ザ・プラネット』
- 時代の寵児バンクシーの喜怒哀楽や煩悶を追体験!?観賞後スカッとするかしないかは自分次第… 『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
- 「帰省」を疑似体験。離れて暮らす父親の素っ気なくも確かな愛情『息子』
- 90分でパリの100年を駆け抜ける!物足りない“現在”を笑って肯定しよう!!『ミッドナイト・イン・パリ』
- 映画の物語よりも、そこに流れる「時間」に没入する 『ビフォア・サンセット』
- 慣れない「新しい生活」のなかでも、人生に思いきり「イエス!」と言おう!『イエスマン “YES”は人生のパスワード』
- 夢や希望、生きる意味を見失った時、再び立ち上がる力をくれた映画『ライムライト』
- 人の目ばかり気にする日々にさようなら。ありのままの自分が歩む、第二の人生。 『キッズ・リターン』
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- 成功は、競争に勝つことではない。 「今を楽しむ」ことを、教えてくれた映画『きっと、うまくいく』
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- 僕が笑うのは、君を守るため。 笑顔はお守りになることを知った映画『君を忘れない』
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