そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
新たな挑戦に向かうあなたの心に、ぴったりの一本が見つかるかもしれませんよ!
りんごのコンポートにプレーンヨーグルト、そしてはちみつをかけたもの。それを私の母は「りんごの煮たの」と呼んで、私たち家族が体調を崩したときにはよく作ってくれていました。口に入れた瞬間はプレーンヨーグルトの酸味で少し目をつぶりたくなるけれど、一度噛めばやわらかく煮たりんごとはちみつの甘さに包まれて、最高のバランスになります。弱った身体に染みる、思い出の味です。
私は最近引越しをして、人生初の一人暮らしを始めました。というのも、高校を卒業して田舎を出てから、シェアハウスなどでの共同生活を続けてきたからです。田舎では家族もたくさんいたし、誰も近くにいない生活は本当に初めてです。心細さを覚える生活の中で、不意にその「りんごの煮たの」が食べたくなったのは、映画『リトル・フォレスト 冬・春』(2015)を観ていたときのこと。都会から東北のとある小さな山村に帰郷して、自給自足の暮らしをしながら自分を見つめなおす、いち子(橋本愛)を描いた作品です。
薪ストーブの熾きで焼く焼き芋、小麦粉から作るお饅頭、山で採れた蕨の塩漬け、お米から作る甘酒。自然からとれた旬の食材で作る、やさしくてあたたかい料理たちは、まさに私が子供の頃、祖母や母が作ってくれた思い出の料理そのもので、この映画を観ていると二人に料理を作ってもらっているような感覚に包まれます。
特に、私が印象に残った料理は、都会で一人暮らしをしていたいち子が、想いを寄せる男の子に渡すお弁当に入れた、母(桐島かれん)直伝の卵焼き。隠し味は、はちみつです。私も母直伝のあまい卵焼きを、気になる男の子に作った時のことを思い出して、一層いち子と自分が重なるように感じました。少し勇気が要るときに、いつもそっと私の背中を押してくれたのが、“母の味”だったのです。
私にとって都会で始まったばかりの生活は、時に、どうしようもなく心細い気持ちになることがあります。なりたい自分に近づきたいけれど、近づけない、力不足な自分に自信を無くしたり、本当の自分を見失いそうになったり。そんな時には、少しだけ勇気が欲しくなって“母の味”を思い出します。
映画の中で、長い間失踪して会っていない母から、いち子へ手紙が届くシーンがあります。「何かにつまずいて、それまでの自分を振り返ってみるたびに、私っていつも同じ様なことでつまずいているなって。一生懸命歩いてきたつもりなのに、同じ場所をグルグル円を描いて戻ってきただけな気がして落ち込んで…。でも私は経験を積んだんだから、それが失敗にしろ成功にしろ、まったく同じ場所ってことはないよね。じゃあ、『円』じゃなくて『らせん』だって思った」最初はその手紙をよく理解できなかったいち子でしたが、手紙を読み直していくうちに、もう一度都会に行くことを決意する姿を観て、私も母に勇気づけられた気がしました。
『リトル・フォレスト 冬・春』を観た後、私は一人暮らしの家で「りんごの煮たの」を自分のために作ってみました。その味は、一人都会でつまずいている私の背中を、子供の頃と同じように、少し押してくれるような気がします。私にとって映画『リトル・フォレスト 冬・春』は、そんな甘酸っぱい母の味のように、ずっとずっと覚えていたい一本なのです。
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