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「違う」ことが「変」という違和感
欧州では外見的な要素に言及すること自体が無礼とされているわけですが、それ以上に相手と自分が「違う」ことに違和感を持つという感覚が少ないような気がします。相手と自分は別の人間であり、「違う」ことが前提になっているといってもいいかもしれません。
そんなことを強く感じた出来事が、昨年の秋に欧州から帰国した我が家でありました。渡欧前に通っていた公立小学校に戻った息子は楽しく過ごしているものの、ある日こんなことを愚痴り始めたのです。「今の学校の子たち、すぐに変だよって他の子をバカにするんだ。前の学校(欧州の)ではそんなこと言う子はいなかったから、すごくイヤなの」なんでも、「その髪型は変」「シャツの裾をズボンにインしているのは変」と、外見的な要素に違和感があるとすぐに「変」と言う風潮があるというのです。
特に、欧州滞在時に息子は様々な国籍や人種が集まるインターナショナルスクールに通っていたので、違和感を強く持ったのでしょう。誰かのことを「変」と感じて、さらに口に出してしまう感覚が理解できないのだと思います。親としては、これからもその違和感は失ってほしくないと思います。
しかし、「違う」ことを前提としたコミュニケーションが必ずしも良い結果だけをもたらすとは限りません。自分とは「違う」相手と向き合うとき、「違う」から理解できるはずがないと考えるのか、「違う」のは相手が間違っているからだと考えるのか、「違う」ことも含めて受け入れようと考えるのか、考え方によって相手との関係はまったく違うものになるからです。
大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』は、日本軍俘虜収容所を舞台とした戦争映画です。支配する側の日本人と、収容されている英国人という絶対的に「違う」立場において、作中では様々なコミュニケーションや関係性の変化が生じます。
物語の舞台は1942年、日本統治下にあるジャワ島の日本軍俘虜収容所。日本語を話すことができる英国軍中佐のロレンス(トム・コンティ)は、通訳のような役目を果たしていました。特に彼を重宝していたのは現場責任者であるハラ軍曹(ビートたけし)。暴力的で支配的なハラ軍曹は俘虜たちに恐れられていましたが、ロレンスとはなぜかウマが合うようでした。
一方、収容所所長のヨノイ大尉(坂本龍一)は、軍律会議で裁かれた英国陸軍少佐のジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)を強引に収容所に収監します。ヨノイは衰弱のため病棟に入ったセリアズの早期回復を指示し、夜中に様子を見に来るなど彼を特別扱いしていることが周囲にも明らかでした。ハラ軍曹はその理由が気になって仕方がありません。また、セリアズ自身もなぜヨノイが自分を特別扱いするのか不思議に思っていました。
本作には何組かの対となるペアが登場します。そのうちの1組がヨノイとセリアズであり、もう1組がハラとロレンスです。一目見ただけでセリアズに特別な感情を抱いたヨノイとセリアズは本作のストーリーの核なのですが、私がより注目したのは、日本人/支配者であるハラと英国人/俘虜であるロレンスでした。
坊主頭で口が悪く、すぐに暴力を振るう粗暴なハラ軍曹と、穏やかで常に冷静なロレンスは一見すると正反対に見えます。しかし、彼らは似た者同士でもあると私は感じました。
夜中に病棟に忍び込み、ロレンスにセリアズのことを聞きに来たハラ。彼はこう問いかけます。「ロレンス。お前はなぜ死なないんだ? 俺はお前が死んだらもっとお前が好きになったろう。お前ほどの将校がなぜこんな恥に耐えることができるんだ?」これに対し、ロレンスは「我々は(俘虜になって生きながらえることを)恥とは呼ばない。俘虜になるのも時の運だ」と答えます。ハラは「嘘をつけ。死ぬのが怖いだけだ」と笑いました。
このシーンでわかるのは、ハラが(納得するかどうかは別として)【相手を知ろうとする人間】だということです。セリアズはハラの第一印象を「ヘンな顔だ。だが目が美しい」と評しました。真っすぐに相手や物事を捉えようとするハラの視線はとても印象的ですし、作中ではハラが正面を見据えたショットが何度も登場します。一方、日本軍をバカにしている俘虜長から、日本軍を出し抜くための協力を頼まれたロレンスは「奴らはバカじゃありません」「私は彼らを知ってます」と反論します。ロレンスもまた【相手を知る】ことを重視している人間だということがわかります。さらに、ハラが【相手を知る】だけではなく、その先まで考えることができる人物だということが後のエピソードから明らかになります。
ある日、とある事件が起き、俘虜たちは48時間の外出禁止と断食である「行」を命じられましたが、セリアズが命令に背きます。さすがのヨノイもこの反逆行為を看過することはできず、セリアズは独房に。
独房に入れられたセリアズは、侵入者に殺されそうになります。その侵入者は、セリアズのことが許せなかったヨノイの従卒でした。暗殺を謀った従卒は、「あいつは大尉の心を乱す悪魔です」と言い残して自ら死を選びます。ハラは暗殺を企てた従卒を戦死扱いにするようにヨノイに要請。それは自殺だと恩給が出ないためでした。
その葬儀にやってきたロレンスは、セリアズと自分がある疑惑をかけられて殺されようとしていることを知ります。誰かに責任を取らせるべきというハラの考えによる処置でしたが、ロレンスは濡れ衣だと激しく抗議します。
ハラは、誰よりも軍の秩序を重んじる男でした。それと同時に、不祥事や自殺で命を落とした兵士を戦死扱いにするなど、ルールを守った上で日本に残された家族のことを思いやる視野の広さも持っていました。そんなハラだからこそ、俘虜収容所の秩序を保つためにセリアズとロレンスを犠牲にすべきだと考えたわけですが、そんな秩序を重んじるハラが意外な行動に出ます。
同房に入れられ、昔の思い出を語り合うセリアズとロレンスでしたが、なぜかハラに呼び出されます。酒に酔って上機嫌のハラは「私はファーゼル・クリスマスだ」と言って独断で2人に釈放を告げ、「メリークリスマス、ロレンス、メリークリスマス」と満面の笑みを浮かべます。そう、その夜はクリスマスだったのです。
葬式でお経を唱えながらロレンスの抗議を聞いていたハラが、数時間後にサンタクロースを名乗りながらクリスマスにかこつけてロレンスを解放するという流れは非常に象徴的です。西欧ではクリスマスに罪人に対して恩赦が言い渡されることは珍しくありませんが、常に日本の秩序を遵守してきたハラは、仏教の儀式中にロレンスの言葉に耳を傾け、自らのルール(秩序を遵守する)を破ってまでキリスト教の祭事にまつわる慣例に基づいて独断を下したのです。ハラはただ盲目的にルールに従う人間ではなく、知ろうとし、考え、相手の価値観を理解する勇気を持ち、ときには罰せられるリスクを冒しても決断を下す人物。そのことがハッキリとわかる「メリークリスマス」は、観る者の心に焼き付きます。
その後に起こるクライマックスの展開については実際に本作を観ていただくとして、ハラとロレンスの関係を語る上ではラストシーンに触れないわけにはいきません。
親愛と感謝の
「メリークリスマス、ロレンス」
終戦後、ハラは戦犯として収監されていました。処刑直前にロレンスに連絡をしたハラは、訪ねてきたロレンスを観て喜びます。ハラは秩序に従っただけなのに罰せれることに納得していない様子ですが、覚悟はできていると語ります。そんな彼に対して、ロレンスは「あなたも犠牲者だ」と語りかけました。病棟で「俘虜になるのも時の運だ」と語った時と変わらず、戦場という状況下での立場の違いがあるだけで皆同じ人間だとロレンスが考えていることがわかります。だからこそ、かつては敵であり自分の仲間を傷つけ殺したハラたち日本兵のことも「犠牲者」と断言することができるのでしょう。
牢屋の中で語り合い、酔っぱらって独断を下したクリスマスの夜のことを思い出して笑い合うふたり。そして、去り際にロレンスに向かってハラは再び「メリークリスマス、ミスターロレンス」と目を潤ませながら笑顔で声をかけるのでした。
中盤の「メリークリスマス、ロレンス」と最後の「メリークリスマス、ロレンス」は見事に呼応し合っています。最初は親愛と同時に恩情の言葉として、最後は(おそらく)親愛と感謝の気持ちとして発せられた「メリークリスマス」は、ハラとロレンスの間に確かにあった絆と友情の証です。
彼らは互いが「違う」ことを前提としながらも、相手の価値観や立場を知ろうと努め、「違う」ということを含めて相手を認めていました。文化も宗教の違いも超えてロレンスは日本兵の葬儀に出席し、ハラはクリスマスプレゼントを渡したのです。
帰国直後は日本の友達の言動にやや戸惑っていた息子の口から、今はときおり「論破」という言葉が飛び出すことがあります。議論や話し合いは勝負ではありません。自分の意見の方が正しいと相手に降伏させるのではなく、「違う」ことを含めて互いの考えや立場を理解し、その上で解決策を検討することが議論であり、決して「論破」するようなものではないはずです。
もう少し息子が大きくなったら、『戦場のメリークリスマス』を一緒に観たいと思います。互いの言葉に耳を傾け「違う」考え方をぶつけ合いながらも、決して「お前は間違っているから訂正しろ」とは言わなかったハラとロレンスの関係は、息子にきっと「違う」ことから始まる建設的なコミュ二ケーションを教えてくれるはずです。そして、そういった議論やコミュニケーションこそが、断絶が深まる世界において必要なものなのだと私は思います。
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