そんな自分にとって特別な、そして誰かに語りたい映画体験記。
最近、忙しくて映画を観る時間がない…と嘆いているあなた。90分! 90分ならどうでしょう? ちょっと早起きしたり、ちょっとSNSを観る時間を削ってみたりすることで、90分ならば捻出できるのではないでしょうか!?
仕事は充実しているはずなのに、なぜか停滞感をおぼえる。毎日をそれなりに楽しく過ごしているはずなのに、なぜか物足りなさを感じる──そんなときに思い出すのが、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)の主人公・ギルのセリフです。
「“現在”って不満なものなんだ。それが人生だから」
『ミッドナイト・イン・パリ』は、ウディ・アレンによるファンタジックなラブコメディー。ハリウッド映画の脚本家として人気のギルが本当に書きたいのは、過去に思いを馳せる“ノスタルジー・ショップ”の男を主人公とした小説であり、それはまさに、1920年代のパリに生まれたかったギル自身を描いたものでした。一方、ギルの婚約者・イネズは現実主義者で“肩書き”好き。脚本家として成功しているギルが小説執筆のために仕事を減らすのを良く思っていません。そんな彼らが訪れたパリで、ギルはひょんなことから1920年へとタイムスリップしてしまうのです。
そこで出会うのは、ギルが憧れているその時代を生きる作家や芸術家たち。『グレート・ギャツビー』の作家フィッツジェラルドとその妻ゼルダ、「Night and day」の作詞・作曲家コール・ポーター、『誰がために鐘は鳴る』の小説家・詩人ヘミングウェイ、アートコレクターでありアーティストが集まるサロンを開いたガートルード・スタイン、そして画家のピカソやダリ、映画監督のルイス・ブニュエル、写真家のマン・レイ──気さくな彼らとの交流で、ギルは小説執筆に自信を持ち始めるのでした。
1920年代と“現在”を行き交うなかで、ギルはピカソの愛人・アドリアナに惹かれていきます。華やかに繁栄したベル・エポック(※)のパリを愛する美しい彼女は、イネズのようにギルの小説を小馬鹿にすることもありません。アドリアナとパリの街を歩きながら語り合う時間は楽しく、“現在”に戻るたびにギルはイネズから心が離れていくのでした。
アドリアナに思いを伝えた夜、ふたりはベル・エポックへとさらにタイムスリップすることに。ギルにとっては「1920年よりもさらに昔」でも、アドリアナにとっては「黄金時代」。ふたりはその時代のレストランに訪れます。そこで画家のロートレックと話していたら、同じく画家のエドガー・ドガを伴ったゴーギャンがやって来てこう言います。
「ドガと、いかに“いま”の時代が空虚で想像力に欠けているか話してたんだ。ルネサンス期に生まれたかった」
2010年に生きるギルが焦がれる1920年代。1920年代に生きるアドリアナが焦がれるベル・エポック。ベル・エポックに生きるゴーギャンが焦がれるルネサンス期。1920年代に戻りたくないと言い出すアドリアナに対し、「(ルネサンス期に生きる)ミケランジェロは13世紀あたりに憧れたかも」と悟るギル。そして、冒頭に挙げた言葉をアドリアナに告げるのでした──「“現在”って不満なものなんだ。それが人生だから」。
初めてこの『ミッドナイト・イン・パリ』を観たとき、私はこの言葉に救われた気がしました。20代の頃から1950~60年代にかけての日本の文学・芸術に魅了され、特に澁澤龍彦と彼を取り巻く人々、彼が興味を持った人々、彼に影響された人々──三島由紀夫をはじめ、遠藤周作、高橋たか子、大江健三郎、土方巽、細江英公、バタイユ、ベルメール、四谷シモンなど──に憧れていた私は「なぜ、こんなつまらない時代に生きているんだろう? 彼らと同じ時代に生きていたら、きっともっと刺激的な人生が送れていたはずなのに!」と、まるでギルのように本気で考えていたのです。いま思い返すと、20代はずっとその“空虚感”に抗うように、強い刺激を求めていた気がします。
30歳を過ぎるとそういった情熱も少しずつ冷めていきましたが、やはり空虚な気持ちはどこかしらに残っていたのでしょう。『ミッドナイト・イン・パリ』があまりにも自分と重なることに驚き、そして、ギルの言葉で初めて心の奥底に空いていた穴が埋まったような気がしました。それ以降、「1950年代に生きたい」と焦がれることはなくなりましたが、漠然とした停滞感や物足りなさを感じることが稀にあります。
そんなときには、『ミッドナイト・イン・パリ』を観ることにしています。鬱々と考えているよりは、90分でパッと気持ちをリフレッシュしたい。「うんうん、ギルの気持ちもわかるわ~」と共感したり、「ゴーギャンだって“ルネサンス期に生まれたかった”って言ってるし」(実際にゴーギャンがそう思っていたのかはわかりませんが)とクスっと笑ってしまったり。気づけば映画を純粋に楽しんでいる自分がいて、「ま、いま与えられている環境で自分ももうちょっと頑張ってみるか」と気楽に考えられるようになっているのです。
※フランス語で「良き時代」の意。
19世紀末から第一次世界大戦がはじまる1914年までの約25年間、フランスが繁栄していた華やかな時代を表す。
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