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2023年11月24日、河野さんが主演・プロデュースを務める新作映画『水いらずの星』が公開されます。越川道夫監督、松田正隆原作、梅田誠弘W主演の本作。その撮影から公開に至るまでの、約1年間の映画作りと闘病について、河野さんが日記を綴ります。
8月1日
白石晃士監督、来たる!
プチョンでご一緒してから、急激に仲がよくなり、たくさんおいしいものを食べておしゃべりした白石監督。
本当に優しい方で、かなり女性の味方的なヒーロー兄貴。
ご自身が大好きな珠玉のフィナンシェを差し入れにくださった。
トーク内容はYouTube番組を観ていただければと思うのだが、監督が「河野さんのコミュニケーション能力があったから、僕もたくさんおしゃべりできたんだよ」と言ってくださり、とても嬉しかった。
プチョンで私は高橋洋監督と二人で、他の方たちと仲よくできるかとても不安だった中で、白石監督の存在はいつも誰かと私をつないでくださっていた。
しかも! 白石さんが「なんか短編でもいいから撮りましょう!」とおっしゃってくださるではないか。やっと白石組デビューできる。
収録が終わった後も、業界の裏話やあんな話やこんな話と、話が尽きなかった。
また、お話したいなぁ。そのためにも、この業界にい続けるべく頑張らなくちゃなぁと思ったのでした。
8月3日
本日は、VIPO国際プロデューサーコースの1回目だった。
講義内容は詳しく記載することができないのだが、錚々たる大企業から学びに来ていらっしゃる受講生の皆様。
河野、他の方が自己紹介されるたびに、歯がガタガタ震える。
でも、みんな口を揃えておっしゃっていたのは、「日本だけで予算を確保するにはかなり厳しい状況。海外との接点を持ち、国際共同製作を念頭に今後やっていけたらと思い、学びに来た」と。
なんだ! インディペンデント映画だけじゃないのか!って、そうだよね……。日本の経済状況や、芸術に対する価値基準を考えれば、みんな同じ状況下で映画を作っていることには違いない。
予算を上げることばかりが能ではない。でも、予算を切り詰めていくにも限界がある。
その間で今後、私を含めたこれからの日本映画業界を担う世代が、どんな映画製作を展開していけるのか。
焦りも感じつつ、もっともっと真剣に映画製作と今後の業界の在り方について考えなくてはいけないんだなと、身震いをしたのでした。
8月9日
「美魔女になりたい」と廣田朋菜に言ったら、「www」と返ってきた。
「恋をしなさい」と言われた。
「一番難しいことだ」と返した。
本日、『水いらずの星』パンフレットに寄稿していただくある方に、お礼を兼ねてご連絡させていただいた。
すでにご視聴いただいていたようで、「とんでもない映画ができましたね」とのご返信。とても印象的だったのが「黙示録的な、ノアの方舟のような……」というご感想だった。
そうか。確かに、この作品はアダムとイブの話であり、初めのシーンとラストシーンはまさにそれである。とても神話的。
失礼極まりないが、「さすが」と思ってしまった。「そのような観方があるのか!」と。
これからたくさんの方に観ていただくだろう。
多種多様な感想と、この映画が答えを出していない“それ”をどう解釈するのか。ものすごく興味深い。
その方の原稿も楽しみだ。
8月10日
国際プロデューサーコース2回目。
「国際共同製作『PLAN 75』ケーススタディ」というタイトルで、水野詠子プロデューサーから、共同製作に至ったフローなどを伺う。
モデレーターとして矢田部吉彦さんも。
なんだろう、ゾクゾクした。眼をキラキラさせながらお話を伺っていたと思う。私も挑戦したい。し続けたいと思った。
講義後、水野さんにご挨拶し、講義中に疑問に思ったことを伺いつつ、『水いらずの星』のチラシをお渡しした。
オフラインの講義はしばらくないので、他のプロデューサーのみなさんにも。
お渡しするたびに、「女優とプロデューサーやるなんて大変じゃないですか?」「すごいことしてますね」と言うご意見を多々いただいた。
自分がやっているのは大したことじゃないと思っていたけれど、実際にプロデューサーをやられているみなさんから言われると、そうなのかとも思う。
どっちかにするという考えは今のところない。これが私のスタイルだから。純粋に芝居が好きだ。そこにいる自分が好きだ。そして、自分が創造した世界の中にいる自分も好きだ。
だからこそ今日の講義を聴いて、より脚本を精査する力が欲しいと思った。
何に向かって映画を作るのかも明確にした上で。
まだまだ勉強中。でも、怖くない。
水野さんもおっしゃっていた。
「なんだかわからないけど、もがきながら、目の前のことをやり続けてきた」と。
8月12日
情報解禁より少し早いけど、下北沢界隈で『水いらずの星』のポスターを貼ってくれるところを、自転車に乗って探して回った。ヴィレヴァンの表にもスペースがあったので、B1ポスターを貼ってもらえるようお願いしてきた。
『水いらずの星』はもともと戯曲なので、どうしても演劇好きの方たちにも観ていただきたい。
そのためには、情報を届けなければ。
知人にどうしたらいいか伺うと、「チラシの折り込みにバンバン入れてったら? 演劇好きの人はちゃんとチラシ見るよ」とのことだった。
チラシ折り込み代行サービスのサイトに登録して、今後3カ月間で折り込みしてくれる公演のリストが載っているから、セレクトして申請すればいいとのこと。
ただ、やはり有料とのこと……。
河野P、映画界のこともわからないことが多いのに、演劇界のことなど全然わからん。しかし、日々学んでいる。
以前、『水入らずの星』の原作者である松田正隆さんの戯曲『夏の砂の上』の公演を観に行った、世田谷パブリックシアターでの公演に折り込みしてもらいたいなぁ。あとは知り合いが出演する舞台にいくつかアポをとって(無料でなんとかしたい……)。
河野は日々成長してます。少しずつ、でも確実に。人に支えられながら。
8月14日
松田正隆さんから「『水いらずの星』を映画にしてくださってありがとうございました」と言われた。そんなことを言われるとは思っていなかった。びっくりした。
今日はパンフレット用の越川道夫監督と松田正隆さんの対談インタビューの日。
松田さんは、とてもゆっくりと時間が流れているような方で、越川監督の話が途切れるまでじっくり聞いてくださっている趣が好きだなぁと思った。お話の内容はライターの川口ミリさんがまとめ上げてくださるので、ぜひパンフレットを読んでくださいね。
松田さんが、「俳優が上手ですよね」と。
「方言がきちんとリアルなものでしたしねぇ」と。
ほ、う、げ、ん! 河野、実はこれが一番の心配事でした。演技がどうこうより、方言が長崎県出身の松田さんからするとどうなんだろう……とドキドキしていた。
だからそのお言葉が聞けた時が一番、よかったぁ〜!と叫びたかった(笑)。
ただほめるだけじゃなくて、「リハーサルかなりやったんですか? だからかぁ」とおっしゃってくださったので、多分本気のお言葉だと思う。
そして越川監督のお言葉に、河野はもう一度深くうなずいた。
「僕ね、自己表現に興味ないんですよ。そういう映画をわざわざお金をとって公開するという欲求は僕にはない。ただ“何か”のためにはできる」
監督の本作への想い。しかと受け止めました。
私はプロデューサーという立場とか、この企画を進めなくてはいけない責任とかいろいろあって、この映画への想いがわからなくなることも多々あったけど、監督がまずは河野知美という俳優のために製作してくださった映画なんだと今日改めて理解できた。涙がこぼれた。監督ありがとうございます。私頑張ります。
そして、松田さん。貴重なお話ありがとうございました。
8月16日
純粋なものってなんだろう。
真っ直ぐなものってなんだろう。
なんとなく勘で、今年は釜山国際映画祭に行くんだろうなぁと思っていたんだけど、やっぱりそうなった。プロデューサーとして、「Platform BUSAN 2023」(※釜山国際映画祭で2017年から続く、アジアのインディーズ・フィルムメーカーたちの交流の場を提供するプログラム)に参加する機会をいただいた。
なんだけど、なんだろ。
きっと私は心細いんだろな。
誰かに背中を押してもらいたいんだろな。
作品を作るたび、世界は広がって、仲間が増えて。そのたび、自分のちっぽけさも目の当たりにさせられて。プロデューサーとしての視野が広がるたび、俳優としての自分を考えさせられて。
一人じゃないんだけど、独りみたいな。
私は釜山に一人で行きたいんじゃないんだよ。可能ならば連れて行きたい人たちがいる。
欲望が大きすぎる獣。
まだ終わっちゃいない。
信じる。
8月19日
先日、Platform BUSAN 2023に参加することが決まったと連絡を受けたのは、あるオーディションのあとだった。俳優の私はCM向きなタイプじゃないから、大衆に紛れ込もうとがんばっちゃって、なんかギクシャクしてるのに、プロデューサーの私はどんどん先に行ってしまう感じがして、どうにもこうにも変な気分。で、仕事終わりの廣田に連絡してバーで落ち合った。
「あなたはね、よく頑張ってる。それは誰にでもできることじゃない。だからものすごい魅力的よ。だけど、自分に対して許してあげられるところを許してあげられるようになったら、もっと魅力的になると思う。最高じゃん?」と廣田先生。
「もっと自分がやり遂げてきたことをほめてしんぜよ」とのアドバイスだった。
なんでこんな性格かというと、それは母の影響が大きい。
今はさすがにないけど、母は私がテストで80点とっても、99点とっても、100点とっても
ほめてくれる人じゃなかった。「ずっと100点をとり続けなきゃね」と言う人だった。
子どもの頃は、認められたくてずっとずっと頑張っていた。
そんな母に「私、役者をやりたい」と言った時だけ、母は「いいじゃない。それが知美には合ってると思う」と母はサラっと言った。
びっくりした。反対されると思っていたから。
それから母は何も私に言わなくなった。
それでも、幼少期で授かったものはそんな簡単に抜けていかず、自分のやり遂げたことを素直にほめてあげられない今の性格に影響しているのだと思う。
自己肯定感というやつか。
「あなたは今でも十分すごいのよ。前はプロデューサーなんて私でもやれるって思ってたけど、あなたに会って私は到底できないなって悟ったんだから」と廣田は至極真面目な顔で言っていた。
俳優とプロデューサーの私が乖離している。乖離させないと仕事が進められなかった時がある。「でもいずれ巡り巡ってまた一つになるよ」とマスターが優しく諭してくれた。
時計を見たら朝の5時だった。
ありのままってなんだろうと空を見上げたら、カラスが「カァ!」と鳴いていた。
おはよう。
8月23日
最近は(というかそれが当たり前なんだけど)、タモキシフェンをきっちり抜かりなく毎朝決まった時間に飲んでいるためか、生理が止まった。
来なくなった。
普段は「来ない方がいいのに。面倒くさい!」とか思っていたのに、いざなくなるとやはり少し凹む。
生きてくってなんだろね。
プチョン国際ファンタスティック映画祭で観た、マレーシア出身のマンダ・ネル・ユー監督の長編デビュー作『タイガー・ストライプス』のことを思い出す。
思春期を迎え、体に恐ろしい変化を遂げていく少女の物語で、2023年のカンヌ国際映画祭の批評家週間グランプリを受賞している。
『タイガー・ストライプス』といえば、フェイ(・リン・フー)Pのお話を伺う機会があり、来年は映画祭の企画マーケットに、やりたい企画を2本は出そうと決める。
俳優でも、企画でも、「ここに今います! ここでこんな感じで動いてます!」的なアピールってとても大事だと思う。
いくら努力してると自分が思っていたって、人にコンスタントに伝えなければいけない。
みんな声を出して、伝えてみよ。
8月25日
暑い。なんて暑いんだ。
薬が切れてしまって、急遽朝イチで病院に向かう。
その後、『水いらずの星』のパンフレット用に、梅田誠弘さんとのダブル主演同士の対談を行なった。
が。
正直どんな話をしたか覚えていない。
俳優だけやっていれば、まだその記憶は鮮明かもしれないけど、プロデューサーの仕事をしていると、作品に対する私の俳優としての尽力なんてたかが知れているし、自分の実力を知っているが故に、前のめりに話すことが恥ずかしくて仕方ない。
現時点で言えば、作品をものすごく客観的に見ているというか、役を私の手から離さざるをえない状況を経て今に至るというか。
それでも話しているうちに、「女」役が見ていたあの頃の情景が、だんだん自身の脳に亡霊のように重なって、私の視覚を奪っていくような感じがあった。
久しぶりに降臨した感じがあった。ずっとそこにいたはずなのに、あえて見ないふりをしていた彼女が私の身体を通して、当時を私の目の前にプロジェクターみたいに映し出した。
それにしても、映画というのは、いろんな物事の連続の中で少しずついろんなものが絡み合って、融合して、時に離れたりして作り上げられていく気がする。
ミリさんからの質問に答えて、言葉に出していくたびに、「あの時のあれはここにつながっていたのか」とか、「そういえばこういう理由でこういうことをしていたんだな」とか。
なんかとても不思議な感覚だった。
彼女との久しぶりの再会でもあった。
8月26日
新しい企画が動き出した。
白石晃士監督との企画だ。
YouTube番組で監督が「世界に通じるホラー映画を作りましょう」と言うので、それってどんなのだろうなんて考えていたら、「そうだ! 海外映画祭の企画マーケットにどんどんトライしてみればいいじゃないか!」と。
なんせ最近は、「やるっ!」って決めるより、形になるよう動く事前のアクションが大切だなと思っていて、何度リライトしてもいいし、海外からのフィードバックでさらにブラッシュアップして、世界に通ずる作品になるまで粘れたらいいし、そこまでできたらきっと国際共同制作の話も上手に進む気もする。
というわけで、白石監督に「この前おっしゃっていたあの企画。プロットとか書けないですかねぇ。企画マーケットにジャンジャン出してみるのもいいなと思って」とお伝えしたらなんと!
めちゃくちゃ面白いプロットがすでにあるではないか!!
さすが監督。
私の勘が働くのは、そのプロットを読んだだけで世界観がブワッと想像できた時。
この感覚をいつも大事にしている。
「面白い! これやりたい!」と監督にお伝えしたら、「じゃあやっちゃいますか!」ばりの前向きなお返事。
廣田も大興奮で、野村芳太郎と松本清張の名コンビ作のような、濃厚な人間模様があるホラー映画にしようとなった。
ただね……、企画マーケットに出品する書類の作成がまぁ、大変なのよ。
これは英語できる人しか作成できないし、かなりの労力が必要で、覚悟を決めないと無理です。
それでも「やってみたい!」という方がいましたら私でできることがあれば、アドバイスします。
8月28日
写真家の上澤友香さんと、PINTSCOPEでの7月分の日記連載用の撮影へ。
当初、新宿あたりでなんて話していたのだけど、河野の病院での打ち合わせで時間がかなり押してしまったため、大好きな下北沢で合流。
どんな写真がいいかなぁと考えていた時、「そうだ! 私、不良少女(不良おばさんだけど(笑))になりたい!」と思って、上澤さんに「今回は夜とネオンをベースに撮りたい」とお伝えした。
発散したいのだ。自分の欲望みたいなものを。
ずっとずっと追い求めているものだけど、私の身体からウズウズ湧き起こる“悪い河野”みたいなものを。
常に最適なジャッジメントを求められる日々への反骨精神みたいなものを。
「そんなのやりたくなーい」「ルールなんて知らなーい」「いい子でなんかいたくなーい」
河野の心はそう叫びたがっている。
さぁ、開け。私の欲望。
8月29日
来月からドラマの撮影が始まる。
嬉しいな。と思いつつ。
芝居の怖さにいつもたじろぐ。
今回は、監督が私を指名してくださったとのことで、本当にありがたい。
こうやっていろんなことが広がっていくといいなぁ。
そして本日は『水いらずの星』のマスコミ試写だった。
越川監督はいつも言う。
「完成した自分の映画は観たくない」って。
だから私はいつも返す。
「そんなこと言わないでくださいよ〜」と。
少しの冗談と、少しの悲しみを携えて。
上映中は、もう何百回と観た映像なのに、冒頭から身体中が緊張しっぱなしで、自分が出るたび、話すたびになんかもう早くこの場所を離れたいと思って。
そして理解する。監督が言っていた言葉を。
ご来場いただいた方に、「会えてよかった」と言われた。
私はなんにもしてないのに。
私こそお会いできてよかったと思わせてもらったのに。
単純じゃない感情をつないでここまでやってきたのに。
「ありがとう」とおっしゃった。
その目は潤んでおられた。何度も何度も涙を拭っていらっしゃった。
私はそういう人を守りたいと思った。
少しだけ、今までやってきたことが報われたのかもしれないと思った。
8月31日
衣装合わせで代官山へ。
終了したあと、ふと、「そうだ。廣田が近くにいるじゃないか!」と思って、連絡をする。
乳がんになって、右胸を全摘出して、ずっと思っていたことがある。
乳がん患者用のおしゃれで実用性を兼ねた下着がなかなかない。
それなら私が自分の経験から、「こうだったらいいな」という希望をそのまま反映したブランドを立ち上げてしまえばいいのではないか。
アパレル関係はまったくと言っていいほど疎いけど、私が知る限り乳がんサバイバーの方は予想以上に多くて、それでもみんな頑張っていて。
「隠れている場所なんだから、別によくない?」なんてきっと誰も思っていない。
女ですもの。少しでも自信を持てるような素敵な下着をつけたい。
そんな考えを廣田に打ち明けたりして、カフェに長々と居座ってしまった午後。
暑さはまだまだ続きそうだね。
- 2023年10月 釜山参戦! そして『水いらずの星』チラシを配る日々
- 2023年9月 『水いらずの星』公開まで3か月を切る。
- 2023年8月 祝『水いらずの星』試写開始! パンフ取材も。
- 2023年7月 プチョン参戦!『水いらずの星』制作もいよいよ大詰め。
- 2023年6月 プチョン目前。『水いらずの星』宣伝を考える。
- 2023年5月 『水いらずの星』ピクチャーロック完了。
- 2023年4月 葉桜の頃、退院。越川道夫監督との電話。
- 2023年3月 乳がん手術。『水いらずの星』TIFF上映を目指して。
- 2023年2月 手術日が決定。『水いらずの星』目下制作中。
- 2023年1月 仕事が山積みの新年。および新作撮影。
- 2022年12月 映画について考えた年末。
- 2022年10〜11月 病気宣告、そして『水いらずの星』撮影。