目次
※一部本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。
タバコ吸ってウイスキー飲んで
セックスして「やれやれ」
清田 : 恋バナ収集ユニット「桃山商事」のメンバーで映画について語り合うこの連載、第2回目に取り上げるのは濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)です。村上春樹の短編小説をベースに濱口監督自ら脚本を手がけた本作は、フランスのカンヌ国際映画祭で4冠を、そしてつい先日の米アカデミー賞では作品賞をはじめ計4部門にノミネートされ、見事「国際長編映画賞」に輝くなど、国内外で眩いばかりの評価を得てきた話題作です。
ワッコ : 公開されたのが2021年の8月で、男性性の問題を扱っていることもあって当時から連載で取り上げてみたい作品の候補に挙がってたんですよね。それが今や世界的な映画になってしまい、語るハードルがだいぶ上がってしまった気もします(笑)。
清田 : 確かにプレッシャーあるね……。今回は清田、ワッコ、佐藤の3人でお送りできたらと思いますが、初登場の佐藤さんは桃山商事の立ち上げメンバーで、清田とは中学時代からの同級生。まずはそんな佐藤さんに作品を観ての感想をうかがえたら。
佐藤 : 正直に言うと、最初はまじで意味がわからなかったんですよ。私は映画を観る習慣がほとんどなくて、古くは『インデペンデンス・デイ』(1996)で感動したような、物語の展開や喜怒哀楽の波がハッキリしている作品しか理解できないタイプで。テレビで言えば『痛快TV スカッとジャパン』みたいな。そういう人間からすると、浮気された男がカッコつけてよくわからないことを言ってるだけの映画にしか思えなくて、転調のないクラシックを延々と聴かされてるような、結構しんどい心地でした。
清田 : あー。それはちょっとわかるかも。個人的には「苦手でもあり、深く考えさせられもした」という、相反する両極端の気持ちが同居するような作品だった。話題も評判も知った状態だったから期待値が相当上がっちゃってたのか、観ながら「えっ、こんなに淡々とした映画なの!?」って戸惑って。あとは村上春樹が苦手で……登場人物がみんな自己陶酔しているように感じるとことか、「ミステリアスだけどエロい」みたいな女性像の描き方とか、あとタバコ吸ってウイスキー飲んでセックスして「やれやれ」的な、ナルシズムとダンディズムが混ざったような雰囲気が昔から本当に苦手で、この作品にもそんなテイストを感じて「うっ」となった部分が正直あった。
ワッコ : 清田さん、こないだ出演したTBSラジオ『アフター6ジャンクション』でも村上春樹に対する苦手意識を語ってましたもんね。
清田 : 何度トライしてもダメだったのよ。「人間、そんなふうにしゃべんないだろ!」とか思っちゃって。早稲田大学の第一文学部ってとこに通ってたんだけど、それこそハルキストの巣窟みたいなところで、「村上春樹読んでないの?」「人生損してるよ?」みたいな圧をめちゃくちゃ受けたのもあって……だからある種のアレルギーみたいなものかもしれないんだけど。
ワッコ : わたしは小学生のときに『ノルウェイの森』を読んで最高! ってなって、そこから思春期にかけて割とハルキストだったんですよ。『羊をめぐる冒険』とか『ねじまき鳥クロニクル』とか大好きだったし、中3のときは3月に『アンダーグラウンド』が図書館に入ることを知り、それだけを楽しみに高校受験を頑張ってたくらいで。ストーリーテリングが見事で、毎回わくわくしながら読んでました。
清田 : 深夜ラジオとかが大好きで、カッコつけたものが苦手なイメージのあるワッコがハルキストだったのは超意外。
ワッコ : でも、大人になるにつれてだんだんダメになってしまって。朝ご飯にこんなオシャレなサンドイッチ食わねーよとか、ウィスキーではなく「カティサークの何々」みたいな、「いちいち言わんでええわい」って固有名詞をはさんできたり。あと「ちょっと上手いこと言った」みたいなときに必ず文章に傍点を振ってくるところとかも苦手に感じられてきて。だから清田さんの気持ちめっちゃわかるなって(笑)。
家福がついた小さな嘘と
男性の“側ファースト”問題
清田 : 話を映画に戻すと、極めて淡々とした展開で、しかもハルキ的なムードに対する苦手意識がありつつも、一方で3時間まったく退屈しなかったし、それどころかいろいろ刺激的で頭の中はむしろ大忙しで、最後は心の中に重たい何かが残る作品でもあった。セリフとか映像とか人物造形とかがとにかく緻密に設計されている感じがして、豊かなディテールを通じて描かれる男性性の問題に惹きつけられたというか、個人的にはそれについて語り合ってみたいなって。
ワッコ : それで言うとわたし、家福(西島秀俊)が小さい嘘をつくところが気になったんですよね。例えば序盤でウラジオストク行きが延期になるシーンがあるじゃないですか。それでいったん自宅に戻ったところで妻(音/霧島れいか)の浮気を目撃しちゃうわけですが、そのまま何も言わず空港に戻って近くのホテルに一泊する。その夜に音からテレビ電話がかかってきたとき、何食わぬ顔でウラジオストクにいるふりをするんですよ。
清田 : 延期のことも内緒にして。
ワッコ : あとセックスのあとに音が語り始める物語を記憶しておく係を担ってるんだけど、亡くなったお子さんの法要のあとに喪服でセックスし、「ヤツメウナギがなんちゃら」という内容の物語が出た翌朝、家福は「ごめん、昨日のはよく覚えてない」って言ってて。でもその直前までパソコンでヤツメウナギの動画を見ているわけで、絶対に覚えてるんですよ。
清田 : 物語の終盤では高槻(岡田将生)にもその話めっちゃ語ってたもんね。
ワッコ : そうなんですよ。夫婦関係に波風が立ちそうなことを極力排除してるなコイツ、と。浮気に目をつぶり続けてきたところとかも含め、なんというか“作られた凪”みたいなものを感じてしまったんですよね。
清田 : 確かにそうかも。家福は「僕たちは同じ形ではいられなかった」「もう同じ僕たちではいられないんだと思った」と高槻にもみさき(三浦透子)にも語っていたけど、妻の浮気より日常が壊れることのほうが怖かったのかなって感じたのよ。妻との生活が平穏に続いていて、仕事もそれなりにうまくいってて、すべてが一応つつがなく進行している……という、そういう「側」みたいなものが崩壊することを家福は最も恐れていたのではないかって疑惑があって。
ワッコ : 見たくないものを見たくないんだろうなって感じはありましたよね。妻の浮気に関しても、ずいぶん前から、しかも何度も繰り返していたことを把握していたのに黙っていたわけですもんね。小さな嘘も「側」を取り繕うためのものだったかも。
清田 : 水面下に潜在的な問題が山積していることはうっすら感じている。でも、そこに触れるといろいろ表面化して「側」が崩れてしまう。だから取り繕ったりフタをしたりすることで現実を都合よくコーティングし、表面的な凪が保たれていればそこに乗っかって暮らせてしまう……。そういう“側ファースト”みたいな傾向って、我々が見聞きしてきた恋バナの中に登場する男性の多くに共通するし、自分自身にも思い当たる節があるもので、とても男性っぽい問題なのかもしれない。
ワッコ : 家福がみさきに「君が来ないとユンさんが気にするから」「寒い中で僕が待たせてると思われるのが迷惑」みたいなことを言ってて、そういう“体裁整えマン”なところにイラッとしてしまったんですが、それも側ファーストの一種だなって思いました。
「正しく傷つくべきだった」とは
どういうことなのか
佐藤 : 側ファーストってのはすごくわかるかも。私も最後の30分は「完全に家福だな」って思ったんですよ。村上春樹も一生読まないと思うけど、俺のことを知ってるんじゃないかってくらいに家福で。そういう意味ですごい作品だなって。
ワッコ : えっ? 言ってることが最初と全然違う(笑)。
佐藤 : 例えば浮気を目撃したシーンも、スカッとジャパン的には怒鳴り込むところじゃないですか。裏切り者に天誅が下る、みたいな。でも、おそらく自分も家福と同じ態度を取っただろうなって思うのよ。その場で踏み込んでしまうと事が進んでしまうというのももちろんあるんだけど、それ以上に「自分だけが傷ついていたい」という思いがあって。
清田 : 被害者ポジションでいたいってこと?
佐藤 : なんだろう、責めると相手も傷ついちゃうじゃん。それに自分だけが被害者でいたほうがまわりも優しくしてくれるし。問題と向き合うより自己憐憫できるポジションのほうがラク……って感じなのかな。これは完全に私の話ですが、かつて長年交際した彼女から別れの手紙をもらって一方的にフラれたとき、その返信のメールを清田に代筆してもらったじゃないですか。思えばあれはめちゃくちゃ“家福ムーブ”だったなって。
ワッコ : 家福ムーブ(笑)! その代筆エピソード初耳かもです。
佐藤 : 簡単に言うと、彼女に新しい恋人ができて、それが別れの原因だったっていうのを後から知って、それを踏まえた上で返事をメールで送ったんだけど、その文面を一緒に考えてもらったのよ。内容的には「わかってたけど、お幸せに」みたいな理解のあるやつで。
ワッコ : 責めたりしないことでいい男感を演出、みたいな?
佐藤 : それはめっちゃあった。やっぱり復縁したかったから。その一方で、責めないことで彼女を傷つけたいって思いも正直あったんですよ。優しく振る舞うことで自責の念を刺激したい、というか。責めて謝られでもしたら何かが清算されてしまう気もして。
ワッコ : なるほど……。
佐藤 : 自分だけだと「ふざけんな!」ってなっちゃいそうだし、カッコつけたかったのもあってそういうリアクションになったんだけど、やっぱり取り乱して、責め立てて、「なんでなの?」っていろいろ問い詰めるべきだったかもなって。なのにあそこで家福ムーブしちゃったもんだから、納得できるような言葉を聞くことができず、それで10年以上経った今でも悩み続けてるのではないかと、映画を観て改めて気づかされたんですよ。
清田 : まさに映画のハイライトである「僕は正しく傷つくべきだった」という言葉とつながる話だね。「正しく」という部分は議論の余地があるところだと思うけど、自分の感情を無視してしまったこと、傷や恐怖と向き合えなかったことを家福は悔いている。しかも、「今晩帰ったら少し話せる?」という音の言葉に嫌な予感を抱き、意味もなく車を走らせて帰宅が遅くなったことが、結果的に彼女を失うこととつながってしまい……家福が抱いたであろう後悔には想像を絶するものがあるけど、それだけ「向き合う」ということを重たいテーマとして扱っている作品なんだなって思う。
佐藤 : 家福にイライラさせられたのは、おそらく同族嫌悪みたいなものなんだろうな。私もいろんなものから逃げてきた人間なので……。もちろん、自分とも他人とも向き合うのって基本的にしんどいことだし、向き合うのが正義で逃げるのが悪って話では必ずしもないとは思うけど。
ワッコ : わたしの元カレも目の前の問題と向き合わない人だったので、それが男性性とどう関係しているのかはとても気になります。そして、子どもを亡くした過去や、音があの夜話そうとしていたこと、高槻の存在やみさきとの関係など、他にもまだまだ話題がたくさんありますよね。
清田 : 自分自身と向き合うことにもなりそうで怖いけど……後編ではそのあたりの問題をさらに掘り下げて語っていけたらと思います。
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