目次
※一部本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承ください。
そこは本当に「のぞき込むことのできない場所」だったのか?
佐藤 : 家福の中には、帰宅が遅れたせいで妻の命を救えなかったって後悔があるわけじゃないですか。自分にも少し似た経験があって、高校生のときに母親をガンで亡くしてるんだけど、ずっと入院してて、危篤状態になったときに病院から学校に電話があったんですよ。当時は携帯とかなくて、担任から「すぐ病院に行ってくれ」って言われて。
清田 : 我々が高2のときだったよね、確か。
佐藤 : そうそう。学校からは自転車で10分くらいの距離だったので、そのまま直行すればよかったんだけど、私もそこで1時間くらい遠回りしてしまって。父親は間に合うよう連絡をくれたわけだけど、「この現実を受け止めるのはちょっと無理だろ、俺のキャパだと」ってのがどっかにあって、到着が遅くなった結果、母親の死に目に会えなかった。もちろん家福とは状況が異なるし、最期のときに間に合ったとしてもすでに意思疎通できる状態ではなかったと思うけど、ちゃんとお別れできなかったというのは今でも結構残ってて。
ワッコ : 家福も音の話を聞けずじまいでしたもんね……。実際に彼女が何を話そうとしていたのかはわからないけど、「柔らかな口調だったけど決意を感じた」と言っていたように、家福は別れ話のような内容を想像してたわけですよね。
清田 : 家福は高槻と話している場面で、音について「僕がのぞき込むことができないどす黒い渦みたいな場所があった」と言ってたじゃない? これは想像でしかないんだけど、彼女は子どもを亡くしたあとしばらく虚脱状態にあったわけで、その後の人生にも、夫婦関係にも、創作活動にも、他の男とのセックスにも、子どもを失った経験が色濃く影響していることは間違いないと思う。そう考えると、そこを夫である家福が「のぞき込むことができないどす黒い渦」とか言ってしまうのはどうなんだろうって引っかかった。どこか他人事っぽいというか。
ワッコ : あー。目線が客観的すぎるというか、もうちょっと違う言い方があるだろうっていう。
清田 : もちろん彼にだって計り知れないほどの悲しみがあったはずだし、そこを想像だけで言うのはよくないことだと思いつつ……でもやっぱり家福は当事者なわけで、「どす黒い渦」とかアンタッチャブルな場所にしてないで、一緒にのぞき込むべき立場だったのでは? と感じてしまって。ものすごく意地悪な見方かもしれないけれど。
ワッコ : 思えば法要の帰りに音から「本当は子ども欲しかった? もう一度」って聞かれたときも、「君が望まないものを僕だけ望んでも仕方ないよ」と答えてて、なんか正面から向き合ってない感じがあったんですよね。で、帰って喪服のままセックスするという。
清田 : 家福は重要なことをちゃんと話し合ってこなかった疑惑もあるよね。みさきの前で「謝りたい、僕が耳を傾けなかったことを」と後悔をにじませていたけど、もしかしたらいろんなことから逃げてきた自覚があるのかもしれない。なんというか、「あなたはどう思ってるの?」という問いかけに対し、自分の気持ちや考えを述べず、「君がそう思うなら」とか「世間的には」みたいな返答で話し合いを避けようとする男性の話って恋愛相談の中にもめっちゃ出てくるけど、これも男性性っぽい問題のような気がする。
佐藤 : 向き合ってしまうと相手の内面をのぞかなきゃいけなくなるし、自分の気持ちもちゃんと言葉にする必要が生じてしまう。さらに別れや離婚みたいな、何か決定的な事態に発展してしまいそうな感じもあり、だからそれを巧妙に避けながら表面上の凪をキープしていくという。確かにそういうことってめっちゃある気がしますね……。
男の人って相手と向き合うと
発情できなくなるの?
清田 : 自分にも思い当たる節があって、特に20代の後半に付き合ってた人とはずっとそんな感じだったかもしれない。途中から揉めごとが増えていき、それはどれも結婚をめぐるすれ違いから生じていたんだけど、あまり突っ込んだ話をすると最終的に決裂するぞってのがどっかに予感としてあったから、考えることからも話し合うことからも逃げ回っていて……。
ワッコ : 結局は彼女に愛想を尽かされ、フラれた清田さんはその後3年以上も未練を引きずることになったというやつですよね(笑)。
佐藤 : 私も前編で“家福ムーブ”の話をしましたが、その彼女は付き合っていたときに仕事や家族のことで複雑な事情を抱えていたようで、そういう話題が出ると悲しそうな顔をしていたんですよ。それもあって重めの話を避けるようになり、会ったときはバカな話ばっかりしていたんだけど、思えば彼女の表面しか見ていなかったかもなって。
清田 : ああ……問題から目を背けるためにひたすら楽しい時間を増やそうとする、みたいなのは自分にも思い当たる節があります。
佐藤 : 当時は「これ以上つらい気分になって欲しくないから」という建前だったけど、実際は自分の想像している彼女の像が壊れるのが怖かったんだと思う。かなりドロドロした何かがあるんだろうなってことは感じてたから、そこをのぞき込んでしまうと「俺のかわいい彼女」じゃなくなり、自分が傷つくのが嫌だったというか。恋愛としてはうまくいってたし、しんどい日常の中で数少ない心休まる場所だったとは思うけど、それだけでずっと一緒にいることはできないじゃん。そういう中で「自分の膿みたいなものは見せられない」「この人は向き合ってくれないだろうな」って思いが募り、別の人の彼女になったのではないかと……。その後すぐに結婚したみたいだし。
ワッコ : そう言えば、家福も音とちゃんと話をしてなかったですよね。日常会話はあったし、セックスして物語に耳を傾けてたし、車の中で音の声を通じてセリフの練習なんかもしてたけど、何かについてじっくり会話しているシーンはなかったじゃないですか。で、今ふと「男って会話とかするとどうせ勃たなくなるんだろ?」と思ってしまいました。
清田 : えっ、どういうこと?
ワッコ : というのも、わたしは超話が合う系の彼氏と付き合っていたことがあって、互いの仕事の愚痴も話せるし、映画とか観たら5時間ぐらい感想を語り合うし、嫌いな政治家の悪口とかでも盛り上がれていたんですが、どんどんセックスが減っていって、「そういう存在として思えない」って言われたことがあるんですよ。その一方で、会話は全然しないけどセックスはめっちゃしてる家福たちみたいなカップルも いるわけじゃないですか。仲間みたいになっちゃったらダメで、距離というか他者感というか、それこそ「のぞき込むことのできない場所」がないと男性は勃起できないんじゃないか疑惑が浮上してきました。
清田 : 相手を深く知ると発情できなくなるんじゃないかってことよね? 言われてみれば確かに……。自分の場合、その元カノに対して別れを切り出される恐怖を常に抱いていたのね。しかも表情から機嫌が読み取りづらい人で、いつも顔色うかがいマンだったから、相手が笑ってくれたときは反動でものすごく安心させられるというジェットコースターみたいな状態で。相手に受け入れて欲しいという気持ちもあって性的な発情は確かに途切れなかった一方で、相手を「他者」として認識していくプロセスには向き合えなかった。なんというか、「会話しないからこそ勃つ」って感じはめっちゃあった気がする。
佐藤 : 私の場合、正直に言えば「勃たない相手と長く一緒にいられる自信がない」っていうのがあったかも……。甘えたいって気持ちも性欲の一部だと思うんだけど、そういう部分がなくなっちゃうと、彼女なりパートナーなりに何を求めたらいいんだろうっていう、関わり方のチャンネルの少なさが関係してるかもなって思いました。
ワッコ : 距離があるときは「近づきたい」という思いが発情につながるけど、近づいていろいろ見えた瞬間にそれがなくなって勃たなくなる、あるいはそれ以上近づかないようにする、みたいなことなんですかね……。
清田 : 相手と向き合うって、摩擦で嫌な空気になるし、幻想も打ち砕かれるし、決定的に相容れない部分が見つかってしまうかもしれないし、とてもタフな作業だと思う。でも、それを避けるともっと怖いことにもなり得る。そのことと発情のメカニズムがどう関係しているのかに関しては、引き続き当事者として研究を続けていきたいところです……。
ハンドルを手放した家福と
男性性の変遷
佐藤 : 家福は「チェーホフは恐ろしい。彼のテキストを口にすると自分自身が引きずり出される」と言ってたけど、現に我々もいろんなものを引きずり出されたわけで、この映画自体にも似たようなところがあるかもしれないですね。
清田 : 本当にそうだよね。それとあれだよね、これまでほとんど触れられなかったけど『ドライブ・マイ・カー』においてドライバーのみさきも大きな存在だった。
ワッコ : 車ってしばしば「男根の象徴」みたいに言われるように、すごく男性的なアイテムじゃないですか。そのハンドルを女性に譲るって部分はいろいろ解釈の余地があるところだなって思いました。
清田 : 車に関する描写は家福の変化を象徴していたような気がする。最初はこだわりの愛車を自分で運転していて、事故を起こした直後は音がハンドルを握っていた。その運転に口出しして「そういうの、一歩間違えるとモラハラだからね」と言われるシーンがあり、そのあと広島でみさきに送り迎えしてもらう日々が始まる。始めは後部座席に座っていたけど、その腕を認めて身を委ねるようになり、物語の終盤、高槻と語り合ったシーンの直後に助手席へと移り、北海道に向かう──。
ワッコ : 最後、恐らく韓国でみさきが乗っていたのもあの車ですよね。
清田 : 最初はすべて自分のコントロール下にあるものとしての愛車があって、家福にとってシェルターみたいな場所にもなっていた。音が運転したときはある意味でまだハンドルを任せてなくて、みさきのときも最初は運転スキルを審査するかのような感じで後ろから俯瞰してるけど、助手席に移ったことで目線が揃い、対等な関係になるっていうか。コントロールを手放し、身を委ね、最後は愛車ごと譲ってしまう……というのは、家福の男性性的な変化を象徴的に表していたように感じた。
佐藤 : ただ、家福が内省や自己開示できたのはよかったと思うけど、なぜその相手として若い女性が配置されていたのかはちょっと引っかかるポイントだった。
清田 : 原作もそうだったのでハルキ的な部分かもしれないし、亡くなった子どもと同じ年齢である部分に意味があったようにも思うし……難しいね。みさきとはいわゆる「ピア」(※)的な関係になっていくわけだけど、それは「なんでこんなに運転うまいの?」って話の流れでみさきの過去が明かされたことがきっかけだった。そういった展開が本当にナチュラルで、改めて緻密に繊細に作られた映画なんだなって思う一方、家福に対する手当てが厚いというか、そこには一抹のズルさも感じてしまった。
佐藤 : 物語だからしょうがないけど、都合よく進むよね。若い女性にケアされてやっと心がほぐれたのかよっていう。これ、ドライバーが例えば家福と年齢の近しい男の人とかだったらどうだったんだろうね。だってタクシーの運転手さんとか見ても、中高年の男性のほうが圧倒的に多いわけだし。
ワッコ : あー。それだと「いい天気ですねー」とか言い合ってるだけで、話が深まらないまま3時間終わっちゃう可能性も(笑)。それは冗談だとしても、例えば佐藤さんは失恋したときに清田さんに頼れたけど、家福には愚痴や悩みを言える友達がいなかったのかなってとこも気になりますよね。高槻に対しては何かしらの興味は持っていた様子だったけど。
清田 : 確かにそうだね。ここで残念ながら文字数が尽きてしまったけど、他にも高槻が語っていた男性の「空洞問題」とか、やけにミステリアスな音の描かれ方とか、演劇を盛り込んだ作品づくりの話とか、まだまだ語り合いたいことが山ほどあるのでお茶をしながらまた今度!
※仲間や同僚、年齢・地位・能力などが同等の者という意味。英語で「peer」。
◯『ドライブ・マイ・カー』をAmazon Prime Videoで観る[30日間無料]
↓『ドライブ・マイ・カー』の原作を読む!
PINTSCOPEでは、様々なジャンルで活躍するクリエイターの連載コラムをお届けしています。ぜひ、Twitter公式アカウントをフォローして、広がる映画の世界を体験してみてください!
- セックス、愛着、信頼、子ども……。 ドラマ『1122 いいふうふ』が問う、夫婦が一緒にいることの意味
- 距離があるからうまくいく? 『ほつれる』に見る“半身”スタンスの功罪
- “脱洗脳”をめぐるシスターフッドと、それでも根深い男性優位な社会構造
- オラついた連帯感か、弱さの自己開示か? 映画『バービー』が描いた男性性の行方
- そこに「ハマれない」と信用されない? 『窓辺にて』から見えた“テンプレ問題”を考える
- 処理済みの過去か、都合のいいファンタジーか。 『ちょっと思い出しただけ』が浮き彫りにする自意識のカタチ
- 男性はなぜ「向き合う」ことから逃げるのか。ハンドルを譲った家福の変化が表していたもの
- 妻の浮気より、恐ろしいのは“凪”の崩壊? 『ドライブ・マイ・カー』が描く男性性
- 加害者に優しいホモソーシャルの闇。奪われたのは「前途有望な未来」だけじゃない!?
- 無意識の二次加害? 『プロミシング・ヤング・ウーマン』が観客に問いかけているものとは