目次
※本記事にはセリフや展開にまつわる話題が登場します。ネタバレが気になる方はご注意ください。
「私のこと好きだったときあった?」
清田 : 映画と恋バナをめぐる当連載も4回目を迎えました。今回取り上げたいのは、今泉力哉監督がオリジナルで脚本を担当したことでも話題の映画『窓辺にて』です。「妻の浮気を知ったものの特に怒りが湧いてこない自分にショックを受けた」という元小説家の男性(市川茂巳/稲垣吾郎)が主人公の物語で、我々としても語りたいことがたくさん出てくる作品でした。
森田 : 妻の紗衣(中村ゆり)は出版社に勤務する編集者で、担当している気鋭の若手作家(荒川円/佐々木詩音)と関係を持っている。道義的に悪いのは紗衣なんだけど、なぜか責められるのは圧倒的に茂巳のほうで……そこが興味深いとこだった。
ワッコ : まわりから説教されたり、好き勝手にアドバイスされたり、妻からも「私のこと好きだったときあった?」なんて詰問されたり(笑)。
森田 : そんな茂巳がかわいそうに感じるところもあった。今のセリフが象徴的で、この映画って「好き」を問い直すような作品だと思うのよ。茂巳と紗衣の関係は淡々としていて、スキンシップすら皆無だったことからするに、おそらくセックスレスなんだろうと感じさせる。つまり完全に乾いているんだけど、その一方で、紗衣の仕事の相談に乗ったり、一人暮らしをしている紗衣の母(三輪ハル/松金よね子)と良好な関係を築いていたりと、茂巳が紗衣を大事にしていることも伝わってくる。
ワッコ : 紗衣のシャツのボタンを縫ってあげるとか、ときどき義母の家に顔を出しフィルムカメラで写真を撮ってあげるとか、多忙な妻をケアしている様子も描かれてましたもんね。
清田 : でも紗衣は、そんな夫から「好き」という気持ちを向けられたことがないと感じている。それって多分、茂巳から強い感情が読み取れないことが大きいよね。
森田 : 妙な“保護者み”とでもいうのかな。茂巳って「紗衣はどうなの?」「この後どうしたいの?」みたいなことを聞くじゃない? それは傾聴の姿勢としてはきっと正しいと思うんだけど、そこに茂巳個人の感情や興味関心が乗っかっている感じが全然しなくて。紗衣からしたら、自分に矢印が向けられている感じがしなくてさみしいだろうなって想像した。
ワッコ : しかも茂巳には、かつて同棲していた恋人が突如家を去り、そのことをモデルに小説を書いて高い評価を得た過去がある。紗衣もそれを読んでいるわけで、小説の中身までは詳しく紹介されていないものの、「元カノのことはこんなにも感情豊かに描けるのに、私に対しては全然じゃねえか!」って思っても不思議じゃないですよね。
清田 : そこは個人的にも響いたとこだったわ……。というのも、我々も活動の性質上、元恋人との話とかバンバンするじゃないですか。特に俺なんかは20代後半から5年以上も付き合い、別れたあともしばらく引きずった元カノの話をことあるごとにしているわけだけど、そこには常に彼女の顔色をうかがい、嫉妬心をむき出しにし、心がジェットコースターのように乱高下していた「清田さん」の姿があり、相当な恋愛感情があったんだろうなということが読み取れると思う。
森田 : 夢を週3ペースで見続けた「週3ドリーマー」の話(詳しくは桃山商事の著書『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』をご参照ください)など、彼女とのエピソードはさんざんこすり倒してきたもんね(笑)。
清田 : そうなのよ。自分としては、そういう歴史を経て他者との向き合い方などを学び、その次にお付き合いした今の妻との関係にすごく活かされている実感がある。精神的にも関係性的にも断然安定していると感じるけど、もしかしたら妻は、「元カノとの交際ではあんなぐちゃぐちゃになってたのに」「私のことはそこまで好きじゃないのかな?」なんて紗衣のような思いを抱いてるかもしれないなって、映画を観ながらちょっと考えてしまったり……。
社会的に“正解”とされている
テンプレをなぞっていく
森田 : 俺も昔は自分の恋愛のことを“飲酒型”と名づけたくらい恋愛感情に溺れちゃうタイプだったから、清田の言うこともわかる気がする。でも、そういう上下動の激しい感情だけが「好き」というわけじゃなくて、安定的で構築的な愛情や愛着だって「好き」のひとつだろうし、この映画からはそういう問いを感じる。
ワッコ : 「上下動の激しい感情」が、ある種のテンプレですよね。「好き」とはこういうものだ、みたいな。
清田 : 「一般的にこう思われてる」とか、「普通だったらそうだよね」とか。
ワッコ : そうそう。ていうか、この映画って“テンプレ問題”とでも呼べそうなものも重要なテーマになってる気がします。わたしとしては茂巳の態度やリアクションがことごとくテンプレっぽかったところがすごく気になったんですよね。例えば茂巳は、怪我を負って引退するか否かを悩んでいるプロスポーツ選手の有坂正嗣(若葉竜也)に対し、「試合に出られなくても、後輩の指導とかでチームの役に立ってる人もいるじゃない」みたいなことを言って慰留し、芥川賞のような大きな文学賞を獲った女子高生作家の久保留亜(玉城ティナ)に対しては、「学校は楽しいですか?」なんて質問をしてたじゃないですか。
森田 : ああ、確かに。
ワッコ : もっと言うと、「引退の話→引き留める」「高校生→学校の話を振る」みたいな、世間で「こういうときはこうするべき」って無意識的に共有されてるようなものをなぞってるというか……なんというかAIみたいな人だなって感じたんですよね。だって高校生で芥川賞って言ったら、近い存在でいうと「綿矢りさ」(※)みたいなすごい人ですよ。そんな人とお茶するときに第一声で「学校は楽しいですか?」なんて絶対聞かないだろって(笑)。
清田 : その視点はおもしろいね。茂巳は「自分のそういう感情の乏しさが、たまに怖くなるんです」と言っていたけど、自分の感情がわからないから社会的に“正解”とされているテンプレをなぞっていく……みたいなところもあるのかな。
森田 : 茂巳が受けたショックの背景には「妻に浮気をされたら怒ったり落ち込んだりしなければならない」みたいな規範意識があるような気がするけど、よく考えたらこれもテンプレ問題かも。
ワッコ : まわりの人たちからもそういう圧をかけられてましたよね。ショックを受けないのはおかしいとか、だったら別れるべきとか。何かあったときとかに定型文的な対応やリアクションを求められるって、わたしたちの生活でも普通に起こることですよね。
森田 : それで言うとワッコはさ、かつて同棲していた元カレが浮気していたことを知り、そこから探偵のように彼のことを尾行したり、なぜか突然セックスフルになったりということがあったじゃない? あれは全然テンプレに当てはまらない行動だったと思うんだけど。
ワッコ : 確かに謎行動ですよね(笑)。もちろんまわりからは「別れたほうがいいって」とか、逆に「それほど好きだったんだね」みたいなことをさんざん言われたんですよ。でも、当時の自分を思い出してみると、パートナーに浮気されたことへの怒りも多少はあったんですけど、それ以上に「特ダネのスキャンダルをつかんだ記者」的なマインドになっていて。なんというか、事件の真相を知りたい、真実にたどりつきたい、みたいな。
清田 : 俺らも一回だけ浮気現場の尾行に参加したことがあるけど、ちょっと文春みがあって、すごいワクワク感だった(笑)。
ワッコ : そんなこともありましたね(笑)。そのころすでに彼との関係は倦怠感に満ちていて、恋人というよりルームシェアしてる人という感覚だったんですが、急に「浮気」というホットな燃料が投下され、「この人にもまだ私の知らないところがたくさんあるんだな」って、なんか興味がわいてきたんですよね。彼の話には嘘やヒントが隠されているので、前より会話にも前のめりになったり(笑)。一瞬だけセックスレス状態が解消されたことは今振り返っても謎だしちょっとキモくもあるんですけど、背景にゴシップ的な興味があったことは確かですね。
ダメ男である正嗣のほうが
恋愛的に信用される
ワッコ : でも、仲のいい友達は別としても、大多数の人はそこまで理解しようとしてくれるわけないから、面倒くさくなって「浮気されたんで別れました」と説明してました。あたかも浮気が発覚した瞬間に別れたみたいな言い方でしたが、実際には1年半くらいゴシップ記者をやってまして、ある意味で楽しませていただいたという。
清田 : おそらく「腹が立ったので浮気の証拠を押さえようと思った」みたいに言わないと納得しないだろうしね……。本当は実感や本心とはズレがあるんだけど、面倒くさいからテンプレに合わせて振る舞ってしまうこと、個人的にもよくあるような気がする。テンプレを求める圧ってまじで強いので。
森田 : 話は映画に戻るけど、そういう意味では正嗣のほうが「普通」とされてるもののテンプレにハマれているわけだよね。自分はバンバン浮気してるし、浮気相手の藤沢なつ(穂志もえか)に対してもクズ発言とか多いんだけど、言動がすべてテンプレの範ちゅうゆえ、なんだかんだうまくやれてしまうという。妻のゆきの(志田未来)も、夫のサポートに徹するような、いわゆる「スポーツ選手の妻」のテンプレみが強かったし。
清田 : 基本的には優しいし、相手を尊重するし、加害的な振る舞いだってしない茂巳よりも、ある種のダメ男である正嗣のほうが恋愛的に信用されるというのは興味深い問題だね。人間みがあるというか、気持ちを「本物」だと思ってもらえるというか。茂巳はそれが悩みだったのかな?
ワッコ : どうなんですかね。悩まなきゃいけないのに悩めないってことに悩んでるというか……わたしからするとあまり悩んでいるようには見えなかったです。あと、タクシー運転手と会話する場面で「これってなんでだと思います?」みたいなことを聞かれるんですが、茂巳は食い気味で「なんでしょう。わかりません」みたいに返してて。「ゲームに参加しません」みたいな対応で自己防衛してるように映って、ひたすら心の内側に立ち入らせないし、自分でも立ち入ろうとしない人なのかもなって。
森田 : そう考えると、茂巳がかつて小説を書いてたって過去がちょっと不思議に思えてくる。紗衣に対しても「好きだから結婚したんだよ」みたいな返しで、自分の気持ちを言語化しようとしていなかったし。一方で、小説の感想とかは詳細に言語化してたから、表現できないというわけではもちろんないと思うんだけど……そういう、ちょっと掴みどころがないフワフワしたところが、個人的には好きだったんだけど。
ワッコ : テンプレにハマりたくてハマれない人なのか、あえてテンプレにハマることで世間との折り合いをつけようとしている人なのか……いろんな見方ができそうですね。
清田 : 今回は茂巳と紗衣の関係に話題が偏ってしまったけど、留亜との関係も興味深かったよね。小説をしっかり読み込んでくれて、「この人、他の人とは違う」みたいな感じで接近して、振り回されながらも仲良くなってラブホテルまで行って……という、昔の映画であればいかにもセックスになだれ込んでいきそうな展開を作っておきながら、絶対にそういう気配を漂わせない、距離を取って安全性を保障し、絶対に怖い思いはさせませんよっていう感じを出しながら女子高校生と中年男性の関係を描いていた。ある種の“お決まり”を書き換えるという意味で、これもひとつのテンプレ問題かもなって思いました。
※小説家。17歳で初めて書いた小説『インストール』が2001年に文藝賞を受賞し、大学在学中には『蹴りたい背中』で2004年芥川賞受賞。『勝手にふるえてろ』『ひらいて』『私をくいとめて』など、映画化されている作品も多数ある。
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