目次
※メンバーは原作も読んでおり、最終話までの展開を知った上で語り合っています。ネタバレにならないよう意識しておりますが、セリフや展開にまつわる話も出てきますので、気にされる方はくれぐれもご注意くださいませ。
女性の性欲を、当たり前のものとして扱っている
清田 : 桃山商事の映画連載、今回の作品はPrime Videoで配信中のドラマ『1122 いいふうふ』です。映画ではない作品を取り上げるのは初めてだけど、みんな渡辺ペコさんによる原作マンガの愛読者ということで、ドラマ化を心待ちにしていました。
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清田 : 相原一子(いちこ/高畑充希)と相原二也(おとや/岡田将生)というセックスレスの夫婦を軸に、二也と不倫関係にある柏木美月(西野七瀬)、その夫・柏木志朗(高良健吾)、一子が通う女性向け風俗のセラピスト・池端礼(吉野北人/THE RAMPAGE from EXILE TRIBE)など、様々な人間模様が描かれていく作品ですが、まずはそれぞれの感想から語り合えたら。
森田 : この作品は「セックスレス」や「公認不倫」というテーマが特徴だけど、改めてドラマを観て、女性の性欲というものを当たり前のものとして扱っている感じが印象的でした。女友達(中田クルミ、宇垣美里、土村芳)との会話も淡々としてたじゃない? ひと昔前だったら、女性の性欲って秘め事めいて語られるか、逆にあえて“陽”な感じで語られていたような気がするんだよ。例えば『SEX AND THE CITY』とかだと、もっとはしゃぐ感じがあったし。
ワッコ : わかります。特別なものとして扱わない、性欲の日常感みたいなのがわたしもいいなと思いました。女性向け風俗の話題とかも現代的で、自分も普段よくこういう話をしてるから、「これ、私たちですか?」というぐらいリアルでした。
森田 : 高畑充希が、原作の「一子そのもの」に感じられたのもすごかった。特殊なキャラでもない、ある意味で“普通の人”である一子を、あそこまで再現できちゃうのはすごいなって。
ワッコ : ちょっとしたリアクションとかも含めて一子でしたね! わたしは個人的に「実家問題」も気になるところでした。自分自身も両親がディスコミュニケーションな家族(詳しくは桃山商事の著書 『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』をご参照ください……)出身なので、母親との関係性が悪い一子が、家族の結束が固い二也に嫉妬のような、遠さのような感情を抱くところとか、すごくわかるなって。さらに、レスではあるけれど仲良しな二也夫婦に美月はうらやましさを感じていたりと、いろんな関係を描きながら「家族とは何か」を問い直していくところもこの作品の特徴ですよね。
森田 : 清田はどうだった?
清田 : 原作を読んだときは「公認不倫」という部分がとにかく衝撃的だったけど、ドラマではそれ以上に「夫婦が一緒にいる意味」みたいな問題について考えさせられた。一子と二也はいわゆる「DINKs(ディンクス)=Double Income(共働き)No Kids(子どもを持たない)」で、互いの自由を重んじながらパートナーシップを築く、ある種の都会的で現代的な夫婦像じゃないですか。そんな二人が、しきりに「ありがとう」って言い合う姿がなんか印象的で。
森田 : どういうこと?
清田 : 一子も二也も、基本的には自立した個人として生きてると思うのよ。仕事とか趣味とか人間関係とか、それぞれ確立したライフスタイルがまずあって、その上で生活の重なり合う部分を大事にしている。
予定のすり合わせ、日々の家事分担、具合が悪いときの看病、記念日や誕生日など、ケアの交換がなされたときに忘れず感謝を伝え合う姿からは、パートナーシップというのは不断の努力や気づかいによって構築していくものなのだというメッセージを感じた……のだけど、そんな二人がセックスレスという問題に直面し、「性欲や恋愛は外に求めましょう」というルールを設けたことで、夫婦として一緒にいる意味が揺らいでいくわけだよね。
ワッコ : 二也なんか恋愛でウキウキになってましたよね。あれはちょっとキモかった(笑)。
清田 : ベランダで美月と電話したり、お祝いの約束をドタキャンしたり、一子に対していろいろ雑になっていくんだよね。セックスがなくなり、気づかいが減り、コミュニケーションの密度も薄まっていき……それこそケガや病気のときくらいしか必要性が発揮されなくなっていくなかで、段々と夫婦でいる意味がわからなくなっていくプロセスが妙にリアルだった。
「リベラル夫婦」と「パターナル夫婦」
清田 : 仮に一子と二也を「リベラル夫婦」と呼ぶとしたら、『1122』には別のタイプの夫婦像も出てくる。それは「男が外で働き、女が家事育児を担当する」といった性別役割に基づく家父長制的な夫婦像(=パターナル夫婦)で、一子の両親とか、美月と志朗とか、「老後のためにも子どもを作れ」と二也に迫った親戚の叔父さんなんかがそれに当てはまると思うんだけど、こっちはなんというか、「家族ってそういうものでしょ」という謎ロジックで関係性が続いていくんだよね。
ワッコ : 志朗とかやばいですもんね。毎日妻に晩酌のビールを用意させるとか、海外転勤に妻子がついてくるものだとナチュラルに思い込んでるとか、家父長オーラがとにかくすごい。
清田 : そうそう。一子の父もDV疑惑だし、決していいものとして描かれてるわけじゃないんだけど、なんだかんだでパターナル夫婦は関係を持続していくし、美月と志朗も最終的に関係の再構築へと向かっていく。その一方で、一子と二也には夫婦の危機が訪れるし、同じタイプのとう子(二也の姉/菊池亜希子)も離婚に至っていて……そのあたりの描き方にこの作品の何かが宿っているような気がしたのよ。
ワッコ : 個人的にはすごく納得感ありました。夫婦でいる意味が感じられなくなったときに、別に個人で生きていける状態だったら、無理して関係を続ける必要ないのでは?ってわたしも思います。ただ、清田さんの話を聞いてて思ったのは、一子と二也って確かに仲良しな感じで描かれてはいたけど、実は大事なことを話せてないんですよね。「うちら子どもどうする?」とか。公認不倫に関してもそうで、概念もルールも案外ふわっとしてるし、相手の不倫によって傷ついていたことや、日々のモヤモヤなども伝えられていない。
一方で例えば志朗なんかは、セックスさせろとか転勤についてこいとか、やってることは完全にモラハラなんだけど、ある意味では言いたいことを素直に言えてる状態なんですよ。多分、役割とか立場があるからストレートに言えるんだと思いますが、仲良しであることと、なんでも言える関係って、実は対角線上にあるものなのかもなって感じました。
清田 : この作品って日本国憲法の第24条から始まるじゃない? その条文には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあるけど、個人と個人の考えをすり合わせ、合意形成をして、不断の努力によって関係を維持していく……みたいな姿勢は本当に大事だし、崇高なことだとも思うけど、それゆえに難易度が高いとも言える。
その一方で、性欲みたいな“自然に”湧いてくるものとか、子どもに象徴される「かすがい」的な存在とか、パターナル夫婦が重んじる固定的な“役割”とか、能動的に考えなくても「一緒にいる意味」を与えてくれちゃう何かに頼って夫婦を継続していくことも、できるっちゃできるという。一子と二也は、その狭間で揺れ動いてる状態なのかもしれない。
親密さが増すとセックスが遠ざかっていく?
ワッコ : 親密さって何なんですかね。二也が一子からのセックスの誘いを断ったとき、一子をハグしながら実家のデブ猫を思い出すシーンがあったじゃないですか。つまり、愛着は湧くけど性欲は湧かない存在と見ているんですよね。わたしも昔、同棲していた彼氏から「(空気階段の)鈴木もぐらみたい」って言われたことがあるんですが、それは「一緒にいるとおもろいやつだが、性的な魅力がゼロ」って意味で、当時は実際にレスになってたんですね。
自分としては緊張感のない、穏やかな関係を築ける相手とセックスも継続的にできるのが理想なのですが、彼にとってはそういう意味での親密さは性欲を阻害するものだったようで。それ以来、自分は将来的にどんなパートナーシップを目指せばいいのか、完全に見失ってしまいました。
森田 : そう考えると、セックスレスは一子と二也が抱えている問題を象徴するものでもある気がしてきた。本人たちはセックスレス自体を問題視していたけど、上滑りな会話に象徴されるような、大事なことに触れられない関係性こそが実は問題なんだろうね。ただ、二也自身の認識では「一子ちゃんにはなんでも話せる」というほど信頼関係が築けていたんだろうし、実家で飼っていた猫に重ねるほど愛着は感じていたわけだよね。だとしたら、二也が美月にアウトソーシングしたものって、要するにフィジカルな意味での性欲だけだったのかもしれない。
清田 : 美月との関係は恋愛だったんだろうとは思うけど、最終的には軽率さが浮き彫りになっていたし、そう考えると二也がセックスに何を求めていたのか、確かによくわからないね。
森田 : フィジカルな性欲なら自分で済ませればいいだけの話だった気もするし……。まあ、そう割り切れないのが性欲の因果なところな気もしますが。二也と美月にとって、出会った場所であり、その後も週イチで通い続けていた生け花教室は、我々の言葉で言うところの前前前戯(※いわゆる肉体的な「前戯」のもっと手前の段階から始まっている性的興奮を伴うイチャつき)みたいなものだったわけで、そういう演出も相まって性欲がドライブしてたのかもしれない。
清田 : 「親密さはある、でもセックスはない」という状態にある人たちも少なからずいると思うけど……そういうときってみんなどうしてるんだろう、やっぱ不倫とかしてるのかな?
ワッコ : わたしの学生時代のルームメイトで、性に奔放な女友達として桃山商事の番組にも出演してもらったことのある「アバちゃん」は、既婚者も外にセックスだけできるパートナーがいるほうが家庭もうまく回ると言ってました。その理論もいよいよ信憑性が増してきましたよね。
森田 : でも相手がいる話だしさ、その相手にもパートナーがいるかもしれないわけじゃん。そこまで考えると、やっぱり難しい問題ではあるよね。
ワッコ : 確かに。関係者全員が納得した上で合意できたらよかったのかもしれないけど、現実的にはなかなか難しそう……。
この作品が描いた「公認不倫」って、テーマとしては先進的じゃないですか。でも、二也が婚外恋愛でルンルンになってることを一子は嫌がっていたし、二也は風俗を利用した一子に嫌悪感を抱いていた。身体だけの関係もダメ、心を持っていかれるのもダメってなると、結局は1対1の恋愛しかないのかって話になり、そういう古典的かつコンサバな結論に戻ってしまうのもなんか嫌ですね……。
森田 : そもそも結婚って、互いに排他的な関係性のパートナーを確保し、安定的にセックスできるようにするためのシステムという側面もあると思うんだけど、実際には身体や感情の伴う話だもんね。夫婦の間でも性的同意は絶対に必要だけど、例えば志朗みたいな人にその認識があるかというとかなり怪しいし。本当に難しい、すごく現代的な問題だよね。
清田 : そこはまた 桃山商事のPodcast(最近リニューアルしました!)でも改めて取り上げたいテーマですね。『1122』は他にも、リベラル夫たちの中に根深く息づくパターナルな欲望とか、出てくる男たちが実はみんなやばい問題とか、男ってやっぱり友達がいないんじゃないか問題など、男性性の問題がいろいろちりばめられた作品でもあると思うので、みなさんもぜひ視聴してみてください!
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