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映画は愛すべき女同士の関係を、様々な時代を通じて描いてきました。
あのこになら、その日何があったか話せる
冬になると思い出す、美しい記憶。
分厚いコートを着て出かけた寒い冬の日、母親と新宿三丁目のイタリアンレストランに行った。新宿の雑多な感じとは真逆の、黄色いタイル壁が外国風の店。その日は初めて、母が昔から紹介したかったという友人とわたしと同じ歳になる娘さんに会うことになっていた。以前、彼女に会ったことのある母が「フランス映画から出てきた、みたいな子だよ」と印象を教えてくれた。
遅れてやってきた彼女は、本当にフランス映画に登場しそうな風貌の子だった。ベリーショートで、手足が長くて、シンプルなタートルネックに綺麗な色のコートを羽織っている。海外のスクール映画で見るようなブックバンドでまとめた教科書を片手に、遅れたことをあまり悪びれず軽やかに会話に入ってきた。
映画がとても好きらしい。レストランで夜通し、好きな映画やつまらなかった映画の話をした。まるで生まれる前から友だちだったみたいに、永遠に続きそうな夜だった。帰り際、自分から連絡先を聞いて、お別れをした。私がこれまでに会ったことのない、好きなものがはっきりしていて、何かに夢中になることを厭わなくて、精神的に自立している、あのこ。「友だちになりたい」と思える人に出会ったのは、初めてだったかもしれなかった。
わたしたちはあっという間に、仲良くなった。お互いに「好きなものへの情熱」と「知らないものを知ろうとする好奇心の旺盛さ」が似ていて、好きなものは少し違うけれど、それぞれのまなざしを尊んでいたと思う。彼女のフットワークの軽さに導かれるように、出会ったことのないカルチャーにたくさん触れ、苦手意識のあるものも必ず愛おしい部分があることを知った。覚えているのは、恵比寿のライブハウス。ラップなんて普段聞かないのに、「ラッパーのライブに行ったことがない」という理由だけで当時まだ無名だったPUNPEE率いるSUMMITのライブに遊びに行った。そこは声を潜めない人たちが溢れていて、中でも男性ラッパーに囲まれて、誰よりも力強いパフォーマンスをするMARIAのステージに感涙した。
わたしと彼女には、恋愛よりもしなければならない話がたくさんあることが心地よかった。学生時代、恋愛トークに入っていけず適当な相槌も打てなかった自分にとって、夜中布団の中で聞いていた深夜ラジオの話とか、最近食べたおいしかったものとか、そういう”くだらない“とされてしまう生活における小さな話をずーっとできるなんて、この時間が永遠に終わってほしくなかった。
そんな日々を、『あのこは貴族』を観ながら思い出した。
東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく成長してきた華子(門脇麦)と、猛勉強の末に富山から名門大学に入学したものの、学費が続かず中退することになった美紀(水原希子)という同じ都会に暮らすけれど環境が大きく異なる二人の女性が、一人の男性に出会うことで人生が交錯する。「東京は違う階層の人たちとは出会わないように棲み分けされているんだよ」と華子の友人・逸子(石橋静河)が言うように、文化や金銭感覚が異なる人は、それぞれの生活圏でそれぞれに生きている。だけど、その相容れないもの同士がいがみ合うでも嫉妬し合うでもなく、「連帯する」という姿を見せてくれる。海外でヴァイオリニストとして活躍し、経済的にも精神的にも自立していたいと話す逸子は、華子と美紀を対面させる時にこんな言葉を投げかける。
「日本って、女を分断する価値観が普通にまかり通っているじゃないですか。独身女性が笑われたり、ママ友怖いとか言ったり。女同士が対立するように仕向けられるでしょ。そういうのが嫌なんです。本当は女同士で叩き合ったり、自尊心をすり減らす必要はないじゃないですか」
少女漫画に男1女2が登場すれば、必ず同じ人を好きになり大喧嘩する。ファミレスで女の子同士が集まっているだけで「何話してんだろ。怖〜」と見ず知らずの男子生徒に冷やかされたこともあった。かつてママ友同士にあったような、相手と自分のステータスを比べて、本音と建前でマウントするような人間関係は正直疲れるから、あちこちで腐っていっている気がする。これからの時代は、互助会ではないか。 ジェーン・スーさんと堀井美香さんの『OVER THE SUN』に救われている人がたくさんいるように、あのこにしか助けてもらえないことがあって、あのこだから幸せであってほしいと願う。わたしたちは争うのではなく、共闘する仲間だと心強い女友だちに会うたびに思うから、このセリフには心の底から共感した。
映画には、他にも女同士の連帯を感じるワンシーンが登場する。
美紀と同郷の友人・里英(山下リオ)が「一緒に起業しない?」と声をかけ、美紀が「いいよ」と即答するところ。「このまま子どもができなかったら、一緒にあそこをツルツルにしない?」と、老後の人生を約束するところ。華子が道路越しに、ニケツをしているパジャマ姿の女の子に手を振るところ。そして、悩む華子に美紀が言葉をかけるところ。
「どこで生まれたって最高だって日もあれば泣きたくなる日もあるよ。でも、その日、何があったか話せる人がいるだけで、とりあえずは十分じゃない? 旦那さんでも友達でも、そういう人って案外出会えないから」。
女同士が集まっていると悪口を話しているだろうなんて、誰が決めたのか。むしろ、好きなことを永遠話している時間の方が長いよ。あのこが紹介してくれる女友達は、全員最高だったよ。
わたしたちも東京という街で出会えて、好きな人とのデートよりももっと美しくて、心強くて、楽しかった思い出がたくさんあって、いまハマっている推しの舞台を一緒に行ってもらったり独立するときに一番に手を差し伸べてくれたり、その瞬間の尊さは私の宝物だ。私にとって「その日何があったか話せる」、唯一の人たち。描かれるすべてのシーンが他人の世界線ではないような気がして、社会にある見えないカーストによって苦しくなった時、これらのシーンを思い出しては奮い立たせてもらっている。
友だちというのは、その時の仕事や暮らしによって関係性が大きく変わる。前は、学生時代の友人と関係が続けられないこと、価値観に大きな歪みができてしまったことにショックを受けることもあった。だけどそれも仕方のないことだと思えるようになってきた。以前ここにも書いたけれど、わたしには夢がある。将来、大好きな女友だちたちと近い場所に暮らして、老後をともにすること。出会えたことを心からよろこべる人がいる、その存在がわたしを支えてくれている。わたしたちはこれからも、暮らす場所が変わっても、必要なときに共闘するだろう。たった一人にしないよ、あなたの話を聞きたいし聞いてほしいから、また会おう。
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