Homecomingsが、2017年にイラストレーターのサヌキナオヤさんと一緒にはじめた「New Neighbors」という映画のイベントがある。映画の上映と、映画にちなんだアコースティック・ライブをお届けするイベントで、これまで『アメリカン・スリープオーバー』、『ヴィンセントが教えてくれたこと』、『スモーク』、『犬ヶ島』を上映してきた。
4月にリリースされたHomecomingsの新しいアルバム『New Neighbors』は、聴いてくれている人たちにとって、僕たちが良き隣人でありたい、という想いを込めたレコードだ。ステージの上と客席という関係ではなくて、隣り合って手を取り合えるような関係。それはバンドとリスナーの間だけじゃなく、リスナー同士の関係でもあり、僕たちのまわりの様々なアーティストやスタッフたちと僕たちの関係でもある。
Homecomingsとあなた、という一対一の密な関係ではなくて、僕たちと繋いだその片方の手を誰かに差し出すようなケアのかたち、それを「neighbor」という言葉に込めている。僕やあなたは、ひとりでもふたりでもない。それはある意味、どんな状況の生活や営みも街の一部であって、社会や世界と繋がっているということを認識しなおすことでもある。
でもそれは、誰かの壁をぶち破って部屋から引っ張り出すようなことじゃなくて、こちらの窓や扉は開いておくからね、ということだ。友達だから、隣人だからといって勝手に他人のほどけた靴紐を結ぶようなことはしたくないのだ。必要になったら僕たちの音楽を再生してくれたらいいし、もっと他のことが必要だったらラジオ番組に手紙を送ってくれてもいい。そんな隣人に僕たちはなりたいのだ。
『New Neighbors』というタイトルは映画のイベントのタイトルから取った。当時何気なくつけたタイトルは時間をかけて自分たちにとって大事なものになっていき、Homecomingsを表すことばになった。当時自分がどうしてそのことばをメモ帳の隅っこに書き残していたのか、今となっては全く思い出せないのだけど、知らず知らずのうちにそんなことばに導かれるようにして僕たちはここまで歩いてきたのだ。
先日、「New Neighbors」にとって大切な場所である京都みなみ会館が閉館することがアナウンスされた。好きな場所がなくなってしまうこともとても寂しい。京都の街を離れて気がつくともう4年が経った。街の変化は実際にそこで暮らしていないと分からないことばかりだ。好きだった場所が何の前触れもなく無くなってしまうことがこれからもたくさんあるだろう。新しい隣人としてこの街で暮らしている僕たちが、かつての隣人としてできることは少ないかもしれないけれど、せめて寂しいと思うことだけは忘れないでいたい。won’t you be my neighbor? 僕はまだあの街の隣人でいられているだろうか。
2019年以来開催できていなかった「New Neighbors」の復活回で上映したいと思っていたのが『幸せへのまわり道』だ。
セットの扉が開き、赤いセーターを羽織った男性が「won’t you be my neighbor?」と歌いながら部屋に入ってくる。お隣さんになりませんか? そんな歌からはじまるのが『幸せへのまわり道』という映画だ。原題は『A Beautiful Day in the Neighborhood』。アメリカで実際に放送されていた「Mister Rogers’ Neighborhood」という子供番組とその名物司会者であったフレッド・ロジャーをモデルとした作品で、フレッドと彼を取材するために撮影スタジオに訪れた雑誌記者との交流を描いた映画だ。
監督は『ミニー・ゲッツの秘密』『ある女流作家の罪と罰』のマリエル・ヘラー。前2作に続いてサウンドトラックを手掛けるネイト・ヘラーの楽曲が、カラフルでキュートな仕掛けに溢れた舞台セットにとてもマッチしているし、劇中流れる楽曲もニック・ドレイクにキャット・スティーヴンスと、どこかハル・アシュビー監督や『ライフ・アクアティック』までのウェス・アンダーソン監督の作品を思わせる選曲で、サウンドトラックのレコードは僕の作業のお供としていつもプレイヤーの側に置かれている。フレッドを演じるトム・ハンクスの歌声もばっちり収録されている。
A Beautiful Day in the Neighborhood
フレッドは番組を通して、テレビの向こうの子供たちに「大丈夫だよ」と語りかける。誰でも失敗することがあると、ときには撮影中の失敗もそのまま画面に映すことで子供たちに伝えようとする。彼は誰からも愛され、誰をも愛しているようにみえる。そんな彼に触れながら、記者のロイドは自分の問題と向き合っていく。自分がとらわれている過去や、その過去のせいでこんがらがる現状、そして自分の感情のうねりに手も足も出なくなっている。そんな彼に、そして彼以外の人たちにフレッドは、自分は聖者なんかじゃないと繰り返し言う。間違うこともあるし、怒りもある。彼は自分のなかの怒りや衝動のような感情と内なる戦いを続けている。
撮影が終わり、誰もいなくなったセット、彼はひっそりとピアノ前まで歩いていく。ピアノは一瞬だけの彼の感情の破裂を音楽に鳴らない音にする。彼は毎日毎日、自分と戦い続けている。フレッドは手を差し伸べながら自分自身にも手をのばす。自分の心をどうするか、決めるのはいつでも自分でしかないとフレッドは言う。自分の心とどう向き合うのか、それはどうやって許すのか、ということでもある。愛する人や身近な人であればあるほど、その人を許すことが難しくなってしまうときがある。ロイドが自分の父を許せないでいるように。
きっと誰もがそんな経験をもっているだろう。僕も何度も経験があるし、今だって上手に許すことができずにいることがいくつもある。痛みや怒りをないことにするのが正解では多分ないだろう。まわり道をすること、いちど自分の中の影と向き合って、それからそこに光を当てること。フレッドが言うように完璧じゃないことを認めながら、それでも良き隣人あろうとすること。それはまわりの人や誰かのためだけじゃなく、自分自身が自分の隣人となることもときには大切なのかもしれない。
実際の僕たちの暮らしのなかでは、隣の窓の内側にどんな人が住んでいるのかなんて、知らなくてもいいことなのかもしれない。たまにすれ違って、感じのいい挨拶をする、それくらいの関係でいるのがちょうどいいのかもしれない。そんな今だから、自分の中の小さな部屋に住む隣人が必要なのかもしれない。もちろん、あなたに何かあったとき、駆けつけることができるような友人が隣人であれば、それはとても大きな安心になると思う。僕たちが直接あなたを助けにいくことはできないかもしれないけれど、僕たちの音楽にもできることはあると信じているし、この映画も誰かの手をとることができるはずだ。ちなみに、僕は僕たちの音楽に、作ったその瞬間に救われている。フレッドが自分の影にも手を伸ばすように。
- moon shaped river life
- 『ゴーストワールド』にまつわる3篇
- won’t you be my neighbor? 『幸せへのまわり道』
- 自分のことも世界のことも嫌いになってしまう前に 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
- “君”のように遠くて近い友達 『ウォールフラワー』
- あの街のレコード店がなくなった日 『アザー・ミュージック』
- 君の手がきらめく 『コーダ あいのうた』
- Sorry We Missed You 『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』
- 変化し続ける煙をつかまえて 『スモーク』
- 僕や君が世界とつながるのは、いつか、今なのかもしれない。『チョコレートドーナツ』と『Herge』
- この世界は“カラフル”だ。緑のネイルと『ブックスマート』
- 僕だけの明るい場所 『最高に素晴らしいこと』
- 僕たちはいつだって世界を旅することができる。タンタンと僕と『タンタンと私』
- 川むかいにある部屋の窓から 君に手紙を投げるように