人間は人生の中でいくつもの選択を行います。進学・就職・結婚といった大きなステージにおいてはもちろんのこと、「遊びに行くか勉強するか」といった日々の過ごし方から「どちらの靴を履くか」といった行動にいたるまで、大小さまざまな選択を積み重ねて生きているといってもいいでしょう。
そういった数多の選択のうち、相反する2つの選択肢の間で生じるのが葛藤です。コロナ禍の今は特に、多くの葛藤が生まれているのではないでしょうか。ずっと前から準備していた結婚式を悩んだ末に延期・中止したカップルも多いでしょう。年老いた両親や祖父母に会いに行くかどうかで悩んでいる人もいると思います。早く会いに行かなければ、永遠に会えなくなるかもしれない。でも、会いに行けば感染させてしまうかもしれない……どちらを選んだとしても、大きな後悔を抱える可能性がある……そんな選択肢の間に立たされたとき、人は大きな葛藤に苦しみます。
今回とりあげる『日本のいちばん長い日』(2015)に登場する2人の青年も、それぞれ大きな葛藤に対峙します。太平洋戦争終戦間際の政府周辺の動きを克明に追った本作は、半藤一利著『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』の2度目の映画化作品です。原田眞人監督が手がけた今作は、当時起きた出来事を克明に追った岡本喜八監督による最初の映画化作品(1967年)よりも、より人の内面に焦点を当て、各登場人物たちを描き出しています。
1945年4月に組閣された内閣は、天皇の意志を受けて終戦へと動き出します。ヒトラーは死に、度重なる空襲の激しさも増していました。しかし、会議では降伏派と徹底抗戦派で意見が割れ、なかなかまとまりません。そうこうするうちに広島と長崎に原爆が投下されます。これ以上長引かせるわけにはいかないと判断した首相は天皇に聖断を求め、天皇は終戦の決意を述べるのでした。
本作では、昭和天皇(本木雅弘)をはじめとして登場人物それぞれが苦悩を抱えている様子が子細に描かれていますが、終戦間際に政府にとって大きな障壁となったのは、敵国ではなく陸軍の若い幕僚たちでした。
最終的には終戦やむなしと納得する各所の上層部に対し、陸軍の若者たちは怒りを滾らせていきます。徹底抗戦・本土決戦を切望する過激派の若者たちの想いはどんどんエスカレートしていき、ついにはポツダム宣言受諾に反対するクーデターを起こすに至るのです。
陸軍の若者たちにとって、「徹底抗戦」の対義語は「死」でした。彼らにとって降伏することは恥であり、決して許される行為ではなかったのです。「徹底抗戦のみ」という信条で生きてきたのに、目の前に突然「降伏」という選択肢が現れた時、彼らに葛藤が生じます。「徹底抗戦」を選ぶことはクーデターを意味し、尽くしてきた国家への反逆と捉えられる危険があります。対して「降伏」を選べば、今までの自分の信条を否定することになります。この大きすぎる葛藤に対して、本作には対照的な選択をくだした2人の若者が登場します。
1人目の青年・陸軍少佐の畑中(松坂桃李)は、クーデターの首謀者となった陸軍の幕僚です。ある瞬間が着火剤となってクーデターをエスカレートさせました。序盤では穏やかな笑みを浮かべた真面目な青年というイメージだった畑中ですが、政府がポツダム宣言受諾に向けて動いていることを察知すると徐々に苛立ちを募らせ、最終的に陸軍大臣・阿南(役所広司)の真意(終戦に賛同)に触れたときに豹変します。
終戦に納得できずに詰め寄る部下たちを、陸軍大臣は「納得できんなら、まず私を斬れ!」と威圧。すると畑中は突然飛び出し、青筋を立てながら闇雲に大臣の机を叩きはじめます。こうしてキレてしまった畑中は暴走し、それまで穏やかで表情豊かだったのが嘘のように、常に目が据わった状態に変貌。クーデター開始後は、近衛師団長がクーデターの了承に応じないと見るや否や何の躊躇もなく射殺。それからは、どんなに状況が悪化しようが誰に説得されようが、決して意志を曲げることなく破滅に向かって突き進んでいきます。そして、クーデター失敗と共に皇居を見つめながら自分の頭を撃ち抜いたのでした。
そんな畑中と対照的なもう一人の青年は、畑中と共に陸軍大臣に徹底抗戦を訴え続けていた井田中佐(大場泰正)です。途中まで畑中と同じ意志を持っていた井田でしたが、陸軍大臣の真意に触れた瞬間から2人の気持ちは違う方向に進んでいくことになります。
ポツダム宣言受諾が決まったことを受け、井田はクーデターを起こしたところで、上層部が徹底抗戦の選択肢を取る見込みがないことを悟ります。そして、「将校は揃って自害すべきだ」と考えるようになります。しかし、畑中の強い要請に心を動かされ、クーデターを了承してもらうべく近衛師団長の説得に向かうのでした。ただし、「説得が無理ならクーデターは諦めろ」という条件で。
近衛師団長は井田の言葉に感銘を受けたように見えました。明治神宮に参拝してから決心を固めるという近衛師団長の言葉にホッと胸をなでおろす井田でしたが、参拝を時間稼ぎだと判断した畑中は井田の目の前で近衛師団長を射殺。驚いた井田は一転して畑中たちを制止すべく動きます。東部軍の参謀長に近衛師団長殺害を報告した後、畑中にクーデターを中止するよう説得しに行くのでした。
「王子に仕うるも、武家に仕うる事なかれ、これにもとる事なきやと自問自答して行動したのですが、国体護持に全てを捧げよという教えであると想定した所で、武力に訴える事は駄目なんです」
これは、参謀長の前で座り込んだ井田が発したセリフです。天皇主権/天皇制の存続を意味する「国体護持」は、当時の教育の根幹を成すものでした。ポツダム宣言を無条件で受諾するということは、国体護持が保障されないことを意味します。役人から軍人に至るまで、最も恐れていたのはその一点でした。連合国によって国体護持が否定されれば、日本という国の本質が失われて完全に破壊されてしまうと考えたからこそ、畑中たちはどんな手を使ってでもポツダム宣言受諾を阻止し、徹底的に抗戦しようとしたのです。
しかし、政府が終戦へと舵を切る中で、井田は自身の信念を見つめ直しました。何よりも重要だと教えられてきた「国体護持」(そして、そのための「徹底抗戦」)よりも、「武力に訴えてはいけない」という価値観を取ったのです。故に、目の前で罪なき人が畑中によって殺された時点で、クーデターは間違いだと判断したのでしょう。
さらに井田は、自害という決心すら翻します。説得に失敗し、畑中と袂を分かった後で井田が向かったのは陸軍大臣邸。自決前の陸軍大臣の前で「あとからお供いたします」と言った井田は、大臣から頬を殴られ「死ぬのは俺ひとりだ。いいな」と叱りつけられます。涙を目に浮かべながら声なき声で「はい」と答えた井田は、自決することなくその後の人生を全うしました。
ポツダム宣言受諾という選択肢や、「降伏してもなお生き延びる」という選択肢を選ぶことは、当初の井田の信条を完全に捨てることを意味します。葛藤を振り払って信条を貫き通した畑中とは反対に、井田は信条を捨てることを選んだのです。相反する選択肢の間で井田が苦しみ考え抜いた様子は、劇中で何度も映し出されていました。先ほどご紹介した参謀長の前で述べたセリフや陸軍大臣に殴られたシーンの他にも、重要書類を燃やす様子を眺めながら思案する描写もありました。
当初の信念を強固に保ち続け、葛藤を振り切った畑中。葛藤を前に苦しみ考え抜いた末に、最初の選択肢を捨て後から出てきた選択肢を取った井田。たとえ同じ環境・信念の元で共に戦ってきた仲間であっても、大きな葛藤を前にしたとき、人はこれほど異なる決断を下すものなのです。
75年後の世界を生きる我々も、コロナ禍などで世界がますます不安定になっている今、かつてよりも多くの葛藤と向き合って生きている気がします。当初の信念や選択を貫くのか、深く悩み抜いた末に選択を変えるのか……不透明な未来を前にしたとき、明確な正解などありません。大切なのは、それぞれが今の状況下のもとで改めて問い直し、自分自身の意志を持って選択すること、そして他者の選択を否定せず尊重することなのではないでしょうか。
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