私の兄は25年以上アメリカで暮らしています。小さい町に住んでいるので簡単に行き来することは難しく、兄が渡米してから一緒に過ごした時間は10日にも満たないと思います。それでも私は兄について「家族だ」という意識を持ち続けていますし、数年ぶりに会っても以前と同じようにお喋りもすれば喧嘩もします。
私の人生の半分以上に渡って、ほとんど会っていない相手を家族だと感じている……考えてみれば少し不思議な気がするのです。血縁があるからでしょうか? でも、世の中には血が繋がっていても家族とは感じられない関係もきっとあると思います。もちろん、血の繋がりがなくても家族だと思える関係もあるでしょう。家族とは一体なんなのでしょうか? そのひとつの答えが、初老の父親が娘の結婚に向き合う姿を描いた映画『秋刀魚の味』の中に、私はあるように思っています。
小津安二郎監督の遺作となった『秋刀魚の味』は、妻に先立たれた父親とその家族との関係を描いた物語です。大きい会社で働く周平は長女と次男との3人暮らし。長男は結婚してアパートに住んでいます。妻が亡くなってからは、会社勤めの長女の路子に家事を頼って生活しており、路子のサッパリとした性格もあって周平は娘の結婚のことなど考えてもいませんでした。
しかし、中学校の同窓会に招待した恩師と、婚期を逃し中年にさしかかったその娘との孤独な生活を見せつけられたことで、周平の気持ちは変わっていきます。寂しさと便利さから考えないようにしていただけで、実は自分も娘を家に縛り付けて将来を奪っているのでは? そんな風に考えた周平は路子に結婚のことを切り出しました。
周平の家族は会話も多く、何でも言い合う関係のように見えます。周平は物静かな男性ですが、他のみんなはどちらかというと明るくてハッキリした性格をしており、特に長女の路子の快活さは印象的。ところが、「路子の結婚」という話題が持ち上がると、それまで見えていなかったそれぞれの想いが浮かび上がってくるのでした。
その発端となるのは、路子の家族への想いが吐露される場面。そこから「路子の結婚」を中心に、周平の家族全員が登場し、それぞれの想いを語ります。交わされるのは何気ない会話ばかりですが、そこには家族が互いに抱いている思いやりが溢れています。
周平が「お嫁に行かないか?」と路子に持ちかけると、路子は自分がいなくなったら家のことはどうするんだ、父さんは勝手だとへそを曲げてしまいます。そこでふたりの話は終わるのですが、その直後に帰宅して路子に夕飯を要求する次男・和夫に対して、周平は「自分のことは自分でするんだ」とたしなめました。周平は路子の怒りに触れたことで、これまで路子の家事労働に都合よく頼ってきたことを反省し、路子を自由にするためには自分たちが変わらなければいけないのだと自覚したのです。
そして、場所が変わって長男・幸一夫婦のアパートへ。仕事で少し遅くなった長男の妻・秋子が帰宅すると、幸一は夕飯の支度をしています。秋子は自分が勤める会社に路子が相談に来たことを報告し、結婚に対する路子の複雑な気持ちもわかる気がすると語ります。そこへ周平がやってきて幸一を連れ出し、路子には好きな人がいるらしく、次男によるとどうやらそれは幸一の会社の後輩なので意向を聞いてみてくれと頼みます。さっそく幸一は実行に移しますが、その後輩も少し前までは路子を憎からず思っていたものの、すでに恋人ができてしまっていたのでした。
周平は路子に、自分がもっと早く決断していればよかったのに、すまなかったと謝罪します。路子からは「いいのよ父さん。私、あとで後悔したくなかっただけなの。聞いてもらってよかったわ」と案外ケロっとした返答が。その様子にホッと胸をなでおろす父・周平と長男・幸一でしたが、次男・和夫の「姉さん泣いてたみたいだったぜ」という言葉にビックリします。路子は2階の自室でひっそりと泣いていたのでした。
『秋刀魚の味』には、家族それぞれが抱いている「家族には幸せでいてほしい。傷ついているならば、その痛みを取り除いてあげたい」という深い思いやりが、何度も何度も綴られています。
結婚したい気持はあるものの、周平の生活を案じる路子。路子の想い人を聞き出して応援する和夫。路子の恋を叶えてあげようと後輩を呼び出す幸一。路子の気持ちに寄り添う秋子。本当はお見合い話が来ているにも関わらず、路子の気持ちを優先してあげようとがんばる周平。そして、失恋の事実を伝えたら路子が傷つくだろうと悩む周平と幸一。路子の静かな涙に気づく和夫。
互いに相手を思いやり、なによりも相手の幸せを願う関係。
これが、私が考える「家族」です。
家族が傷つくことに心を痛め、悲しみを軽くしてあげたいと願う想い。家族が1番喜ぶことを想像し、最善を尽くそうとする想い。『秋刀魚の味』には、誰よりも相手を思いやり、相手のために行動したり素直に反省したりする家族の想いが詰まっているのです。
本作では、そんな家族に対する思いやりが最後の最後まで描かれています。お見合いがまとまって路子が嫁ぐ日。結婚の挨拶をしようとする路子の言葉を遮って、周平は「ああわかってるわかってる。まあしっかりおやり。幸せにな」とアッサリ送り出しますが、失恋時の路子と同じく、クールな表情とは裏腹に内心はアッサリなどしていません。夕方ひとりで飲みに行き、寂しさに押しつぶされそうになりながら、夜は静かに涙を流すのでした。路子の幸せのためならば一緒にいられなくてもかまわない。孤独にだって耐えてみせると『秋刀魚の味』で周平が流した涙こそ、家族に対する思いやりの結晶だと私は感じました。
そして、そんな周平に、「明日は俺が飯炊いてやるから」とぶっきらぼうに声をかける和夫。それぞれが、それぞれに相手を思いやる「家族」の姿。アメリカにいる私の兄は、すぐに物を壊したり厄介ごとに巻き込まれたりと何かとトラブルが多いのですが、その度に日本にいる家族は心配して大騒ぎになります。離れて暮らすようになってからもう何十年も経つというのに、兄が困ったり傷ついたりすると、やはり自分のことのように悲しいのです。そんなことを『秋刀魚の味』を観ながら思い出しました。
映画のラストで周平は涙を流しながら、ヤカンからコップに水を注ぎます。今までは路子がやってくれていたことも、今日からは自分でやらなければいけません。周平は「ひとりぼっちかあ」と呟きますが、その横顔に浮かぶのは決して絶望ではありませんでした。去った娘への溢れるほどの愛しさと、寂しさを補いあまりあるほどの幸福と。『秋刀魚の味』には、血縁よりも想いで繋がる「家族」が詰まっていました。
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