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「個は種を超越できるんだろうか?」
台風のニュースを聞くと、避難すべきか、無事に出勤できるのか、計画している旅行は中止すべきか、ベランダにあるものを片付けないとなど、台風の接近や上陸に備えた行動について考える人がほとんどだと思います。でも、子どもの頃は違った気がしませんか? 台風が来れば学校が休みになるし、なんとなく浮足立った世間の空気を感じるし。私も、いつもとは違う淀んだ海の色に、少しだけワクワクしていたことを覚えています。もちろん、過去に大きな被害を出した台風がいくつもあるのは知っているから、「ワクワクする」なんて決して口には出しません。そんな背徳感もあって、余計に気分が高揚していたように思います。
相米慎二監督の『台風クラブ』は、台風がとある東京郊外の町に接近、上陸して過ぎ去るまでの数日間を描いた青春群像劇です。明確な主役は不在で、中学校の生徒たちと周辺の大人たちの様子が断片的に描かれていきます。極めて変わった映画ですが、そこにはかつて私が感じた「背徳感のあるワクワク」や、「もっとその先にあるもの」が克明に刻まれていました。とにかく個性が強い本作。その特異性は、冒頭の場面から色濃く表れています。
夜の学校のプールでひとり泳ぐ人物の影。画面の隅にタイトルが現れた直後、突如としてBARBEE BOYSの曲が流れはじめ、水着姿の女子たちがプールサイドで踊り狂う姿が映し出されます。プールに潜む人物を発見した彼女たちは「あれ、山田君じゃない?」と、それが同級生の男子であることを発見します。
場面が変わり、野球のユニフォームに身を包んだ男子2人が商店街を走っています。途中で酔っぱらいに絡まれたりしながら向かったのは、先ほどの夜のプール。そこでは、溺れた「山田君」が女子たちに介抱されていました。駆けつけた男子のひとりである三上の人工呼吸によって一命を取り戻した山田でしたが、一体彼の身に何が起きたのでしょうか? 連絡を受けて駆け付けた教師の梅宮(三浦友和)が事情を聞くと、彼は「女子たちに見つかってパンツを脱がされた上、コースロープを巻かれて水中に沈められた」と、あっけらかんと答えるのでした。
ほんの数分にすぎないこのオープニングは強烈です。夜のプールで踊り狂う女子たちが放つエネルギー、夜の街を駆け抜ける中学生に絡む酔っぱらい、息をしていない同級生を前にして危機感がない女子たち、生徒が溺れかけたというのにヘラヘラとしている教師。そのすべてに違和感がある上に、とどめとして明かされるのが、リンチによる殺人未遂といってもいい真相だったのですから、ギョッとしない方が難しいでしょう。しかも、夜なので画面は暗いしカメラは人物に寄らないので、生徒たちの顔もしっかり判別できません。「なんだ、この映画は?」一気に興味を引かれたまま、映画の展開はますます混沌を極めていきます。
本作に登場する中学生のうち、私が今回注目したいのは人工呼吸をした三上(三上祐一)です。彼は、台風を心待ちにして日々の退屈に飽き飽きしている三上の彼女・理恵(工藤夕貴)、同性愛に耽ってちょっとアウトローを気取る女子グループ、リンチを受けてもヘラヘラしている山田、好きな女子の背中に硫酸をかけて大怪我をさせてしまう男子などの他のクラスメイトと比較して、常識的で知的な人物のように見えます。実際に頭も良いらしく、東京の高校を受験しようと勉強中。そんな落ち着いた雰囲気もあって、女の子にも特に人気が高い様子です。無軌道な同級生たちを一歩離れたところから観察しているような、何を考えているのかわからないような、ちょっと不思議な立ち位置の少年として描かれています。
家で勉強に励んでいる三上は、呼びに来た兄に「個は種を超越できるんだろうか?」という問いを投げかけます。「死は種の個に対する勝利だって聞いたけど?」と言う弟に、「個が種を超えるというのは、個の経験が次に生んだ種を新しく作り変えるときだろう」と兄は答えます。その問答は有耶無耶のまま終わってしまいますが、意味をなさないような衝動的な行動に満ち溢れている本作において、この妙に哲学的な対話は非常に印象的です。案の定、「個は種を超越できるか」という問いは、本作を貫くテーマのひとつとなっていきます。
いよいよ台風が接近してくると、子どもたちの言動はますます軌道を反れていきます。朝寝坊をした理恵はそのまま家出して原宿に行ってしまいますし、教室では一人の同級生が教師に文句を言ったことから、あっという間にクラス全体を巻き込む乱闘が起こったりします。そして、遂に台風が上陸するという放課後、数人の生徒が学校内に閉じ込められてしまうのでした。
三上も含めて校内に残っていた他の生徒たちは、暴風雨が激しくなっていくのに比例するように興奮状態に陥っていきます。不安を覚えた三上は梅宮に電話をかけますが、泥酔していた梅宮はまともに対応してくれません。そんな梅宮に失望した三上は、「僕はあなたを認めません」「僕は絶対にあなたにはならない! 絶対に」と言い捨てて電話を切ってしまいます。
ここで三上に全否定される担任教師の梅宮は、人間臭くてズルくてだらしない大人です。とはいえ、完全な悪人というわけではありません。夜のプールには駆け付けたし、授業ではしっかり教えるし、教師としての最低限の自覚はあるし、誰かに悪意を向けたりすることもありません。いわば「普通の人」です。しかし、乱入してきた恋人の母親のせいで授業を中断したのに、その理由や謝罪を生徒に対して行わなかったり、家出した生徒を最後まで探そうとしなかったり、学校内に生徒が残っているのを確認せずに施錠してしまったりと、作中ではその無責任な言動がいくつも強調されます。彼だけではありません。家出した女生徒に声をかけて家に連れ込んだ男や、子どもにほとんど注意を払わない親など、本作に出てくる大人たちはおしなべて無責任で、子どもたちに適切なケアを行っていません。自己中心的で、無気力で、無責任。彼らは皆、無軌道な行動を繰り返す子どもたちを放置し、子どもたちが抱える不安や衝動に気づくことすらありません。
やがて学校が台風の暴風域に入った頃、三上も他の生徒たちも、半裸になって歌いながら踊り狂っていました。家出をした三上の彼女も、無責任な大人の家を出て大雨の中で歌いながら街を彷徨います。生徒たちの行き場のないモヤモヤが爆発する、本作を象徴するクライマックスといっていいでしょう。
エネルギー過多で無軌道で、台風と同調して異様なテンションに達する子どもたちの姿は、一見すると暴力的で滅茶苦茶です。しかし、私たちはこれこそが思春期だったということを知っています。ここまで極端な言動に至ったことがあるかどうかは別として、持て余したフラストレーションのやり場がなくて、今考えると意味不明な行動を取ったことがある人は少なくないはず。それこそが子どもなのだと私は思います。問題は、そんな子どもたちを受け止めて、生きる道筋を示してあげられる大人が、本作にはどこにも見当たらないことです。
そこで再び立ち現れるのが、三上が兄と語っていた「個は種を超越できるか」についての問答です。子どもたちと大人たちの様子を俯瞰して眺めていた三上は、大人の代表である梅宮に対して行った最後通告を経て、「個は種を超越できるか」への答えを見出すことになります。
クレイジーな一夜が過ぎ去り、晴れ上がった台風一過が訪れた朝。三上は「個は種を超越できるか」という問いに対して答えを述べた後で、驚くべき行動に出ます。彼を追いつめて掻き立てたのは、大人に対する絶望と怒りに違いありません。「超越できるか」ではなく、超越しなければならない、絶対にあんな大人のように生きてはならないという信念。私が台風に背徳感のあるワクワクを感じていた思春期、あの時期特有の「わけのわからなさ」に満ちた本作の奥には、もはや生きる価値も死ぬ価値も失ってしまった無責任な大人たちへの強い批判が込められていると、私は感じずにはいられませんでした。
しかし、それと同時に私は、子どもたちが持つ逞しさも強く感じました。翌朝登校してきた生徒たちは、「わあ見て! とってもキレイ。まるで金閣寺みたい!」と言いながら、校庭にできた池のような水たまりに、迷うことなくバシャバシャと足を踏み入れます。明るく、屈託なく。無責任な大人たちがズブズブにしてしまった土壌も軽やかに突破して、新たな未来へと進んでいく子どもたち。そこに込められているのは、屍のようになってしまった大人とは違う進化を遂げていくに違いない子どもたちへの、温かい希望の眼差しだと私は信じます。
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