目次
身体を通して「生」を取り戻す
『たそがれ清兵衛』
会社員だったころ、私はミュージカルを作る仕事をしていました。ミュージカルは歌・芝居・ダンスで構成される演劇ですが、実はダンスシーンがほとんどない作品も少なくありません。しかし、そういった作品であっても、訓練された身体を持つ役者なのか、そうでないのかはすぐにわかるものです。自分の身体の使い方と見せ方を知る役者は、身体全体で表現することができます。ただ立って一言発するだけの芝居でも、自分の身体のすべてを意識できる役者の説得力は違います。
藤沢周平原作の短編小説を山田洋次監督が映画化した『たそがれ清兵衛』は、困窮する下級武士の人生を描いた幕末ものの時代劇であり、そんな役者の真価が発揮された作品です。妻を病気で亡くした井口清兵衛は、まだ幼い2人の娘、痴呆がはじまった母親と共に慎ましく暮らしていました。亡くなった妻の薬代に使った借金があるため、同僚づきあいもすべて断って内職や家事に励む清兵衛。そんなたそがれ時に家に帰る彼のことを、周囲は「たそがれ清兵衛」と陰で揶揄していたのでした。
清兵衛は無口な男なので、あまり言葉を発しません。その代わり、カメラは彼の一挙手一投足を淡々と映し出していきます。御蔵役として帳簿を丁寧に確認する姿、薄暗い家の中で娘たちと内職する姿、埃まみれになって畑仕事をする姿……そこにいるのは、いわゆる「お侍さん」のイメージとはかなり違うキャラクターです。起きて、働いて、家事をして、子どもを抱きしめ、1日1日をなんとか乗り越えて生きている、私たちと何ら変わらない生身の人間。いつしか私は、ドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥っていました。時代劇のつもりで観始めたのに、画面を満たしていたのは圧倒的な現実感と生活感だったからです。
物語の中盤、清兵衛が山の中で木を切るシーンがあります。幾度も小刀を振り下ろして小枝を切り落としていく清兵衛の動きには、長年同じことをやってきた人間の滑らかさがありました。左手でグッと幹を掴み、右手の小刀を勢いよく振り下ろす……そこには少しの力みもなければ、何の迷いも見られません。動きを見ただけで「習慣的に木を切っている生活者」であることがわかります。
それを見て私は、「清兵衛というキャラクターのリアリティは、役者の身体から放たれているのだ」と悟りました。彼の動きは、何年も何十年も同じことを繰り返すことによって身体が覚えてしまっている自然な動きにしか見えません。清兵衛を演じる真田広之は、このシーンで台詞をまったく用いずに清兵衛という人物を身体で語っていました。演じる役者が自分の肉体を知り尽くし、完璧にコントロールする術を知らなければ、これほどまでに雄弁な表現はできないと思います。
一方で、生活に追われているとはいえ、やはり清兵衛は武士なのだとわかるシーンもあります。ある日、清兵衛はなりゆきから幼馴染の妹・朋江の窮地を救い、この評判によって上意討ちの討手に選ばれてしまいました。その夜、寝静まった家族を起こさないように注意しながら、彼は刀の手入れをします。流れるような手つきで刀を解体し、刃先を点検しながら丁寧に刃を研いでいく清兵衛。武骨で淡々としていた生活者としての動きとは異なり、静かに刀に向き合う清兵衛の動きは流麗です。精神を統一し、舞うように刀を動かしていくことで高めていく集中力。それまでほとんど見せていなかった武士としての一面が、その一連の動きの中にありありと漲っているのがハッキリとわかりました。
彼の中には、「生活者/家庭人」としてのリアルと、「鍛えられた武士」としてのリアルが共存しています。そして、そのことは台詞ではなく、身体で表現されているのです。
翌日、清兵衛は上意討ちの相手となる余吾善右衛門(よごぜんえもん)の屋敷に向かいました。新体制派による、旧体制派の粛清が進む中、余吾は切腹を命じられながらも拒否し、屋敷に立て籠もっていました。やってきた清兵衛に対して、悲しく報われなかった自分の人生を嘆き、この世の不条理を語る余吾。同じように苦しい境遇にある清兵衛は共感を示しますが、ある事実を知った余吾は激昂。ついに清兵衛と余吾の壮絶な戦いが始まります。
グッと腰を落としてなんとか相手を傷つけないように余吾を説得しながら防御する清兵衛と、痩せ細り体力がなくなった身体で切りつけてくる余吾。狭い屋敷のそこら中に体をぶつけながらバタバタと動き回るふたりの決闘には、殺陣の“様式美”といったものはありません。途中まで優勢だった余吾は思わぬ展開から清兵衛に斬られてしまい、立ち上がったかと思うと「前が見えない」と言いながらへたり込んでしまいます。余吾を演じる田中泯の身体コントロール能力は驚異的で、まるで重力が消えてしまったかのようなフワリとした不思議な動きで、円を描くように死んでいくのでした。
剣士として確かな腕を持ちながら、不条理な人生に嘆く武士ふたり。そしてそのふたりを演じるのは、それぞれアクション俳優、舞踏家として身体表現を知り尽くしたふたりの人間。彼らふたりの肉体の違いは、それぞれのキャラクターの違いにハッキリと反映されていました。清兵衛は家族を守る生活者として大地を踏みしめながら戦い、余吾はすべてを失って死に行く者として浮かび上がるように、消え行くように戦っていた……私にはそんな風に見えたのです。台詞はふたりの共通点ばかりを示しているのに、身体の動きはふたりの相違点をどんどん明らかにしていく……生者と死者、誰かのために生きている者とすべてを失った者。彼らの身体の動きから伝わってくる情報はあまりに多く、訓練された肉体が持つ表現の豊かさに、ただただ驚かされるばかりでした。
しっかりと自分の足で地面を踏みしめ、手を動かして物を作り、暗くなれば火を灯して家族に微笑みかけ、愛する人には自分の気持ちをハッキリと伝える清兵衛。気の進まない決闘に打ち勝ち、ほっとしながらもやるせない思いを抱いている様子の清兵衛。無口で不器用だけれど、これ以上ないほどの実感を持って「生きている」彼の身体を見ていると、なんだか不思議な気持ちになってきます。
なぜなら、私の生活の方がずっとフィクションじみている気がするからです。コロナ禍で行動範囲は狭まり、離れて住む両親や友人にはもうずっと会えていません。飲み会や打ち合わせといえばオンラインばかりだし、気づけば一日中なにかの画面ばかり見て過ごしています。土を踏みしめ空を仰ぎ、木を切ったり釣りをしたりしている映画の中の清兵衛の方が、よっぽど現実味があるのではないのか? もしかしたら、私の方が嘘なんじゃないのか? 身体全体で「確かに生きている人間」を表現している真田広之を見ながら、私はそんな気持ちになっていました。
でも、私だって間違いなく肉体を持った人間なのです(訓練された肉体を持つ役者ではありませんが)。うっかりすると現実感を失ったまま時間が過ぎていく世の中で、身体を置き去りにして生きていくのだけは避けたいと強く思います。清兵衛の身体が「生」に現実感を与えたように、私も自分の身体を通して「生」を取り戻したい。明日からは、大地を踏みしめる足を、空気の寒さを感じる肌を、子どもと繋ぐ手の温もりを、しっかりと意識しながら「生きて」いきたいと思います。
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