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欠点だらけで愚かな人間
今年に入ってから暗いニュースばかりが続いているような気がします。不幸な出来事によって命を落とす子どもたち、人々の安全を脅かす大事件、次々と明るみに出る社会の暗部……日本全体が、いや世界全体が沈んでいるのかと疑いたくなるほどに重苦しいムードを感じているのは私だけではないでしょう。また、世の中の分断が進み、「なぜそんな行動をとるのか理解できない」と感じることも少なくありません。結局人間は欠点だらけで愚かな存在なのでしょうか? でも、私は決してこの世界に絶望していません。そう思わせてくれた映画が『スリー・ビルボード』でした。
物語の舞台はミズーリ州のある田舎町。中年女性ミルドレッドが車の中からぼんやりと路肩にある広告ボードを眺めているシーンから始まります。ふと何かを思いついた彼女はボードを管理している広告会社を訪れ、あの場所にあるボードを3枚とも借りたいと代金を支払います。
実はミルドレッドは数か月前にこの広告ボードがある場所で殺された少女の母親で、一向に進まない捜査に苛立っていました。彼女は3枚の広告ボードを使って問題を提起し、警察を挑発。町は騒然とするのでした。
本作の中心となるキャラクターは3人。1人目は、娘の死に傷つき自分のことも他人のことも許せずに攻撃的になっているミルドレッド。2人目は、自らの死期が近いことに絶望しつつも、ミルドレッドや町の人々の助けになろうとする人望厚い警察署長のウィロビー。そして3人目は、ウィロビーの部下である保安官のディクソンです。今回はこのディクソンという人物に注目していこうと思います。
ディクソンは主人公ミルドレッドのメッセージが書かれた広告ボードを最初に発見する人物です。裕福ではない低学歴の白人男性であり、独身で差別主義者の母親と2人暮らし。母親同様に本人も差別的で怒りっぽく、頭もあまりよくないので町の人々から(とりわけ有色人種たちから)嫌われています。しかし、上司ウィロビーのことは心から尊敬して憧れている様子。
ボードの件で孤立していくミルドレッドと町の人々、依然として進展しない捜査……そんなある日、人々に衝撃を与える出来事が起こり、ミルドレッドはますます人々から恨まれるようになってしまいます。ディクソンもまたミルドレッドの広告にさらに怒りを募らせ、衝動的に広告会社のレッドの元を訪れ、タコ殴りにした挙句に窓から投げ飛ばしてしまい、警察署を解雇に。失意の日々を送ることになります。
しかし、ウィロビーからの「お前は本来まっとうな人間だから良い警官になる。必要なのは愛だ。冷静さと思考は役に立つ。憎しみは邪魔だ」というディクソンへの激励の言葉に出会ったことが、彼の転機となります。火災に巻き込まれて運び込まれた病室で、自分が窓から放り投げて病院送りにしたレッドと再会したディクソンは、レッドに対して自らの行為を謝罪します。するとレッドは彼のためにオレンジジュースを注ぎ、コップのストローを口の方に向けてくれるのでした。
ディクソンに変化をもたらす
“愛”と“赦し”
ウィロビーの言葉と病室でのレッドの優しさ。ここで明確に打ち出されているのは、“愛”と“赦し”というとても大きなテーマです。本作は後味スッキリなミステリーではありません。凄惨な事件の犯人はなかなか見つからず、善意の人々が誤解やすれ違いから傷つけられる一方で、悪意に満ちた人物は自由に過ごしていたりします。それでも、この映画を観た人は誰もがきっと爽やかな気持ちになるはずです。それは、この“愛”と“赦し”というメッセージを真っすぐに伝えているからなのだと思います。
そして、それが真実であると説得力を持って教えてくれるのがディクソンというキャラクターです。本作を貫く数々のキリスト教的なモチーフとともに、ディクソンの変化は“愛”と“赦し”というテーマの提示に大きな役割を果たしていると私は感じました。
さて、ディクソンの変化を細かく見ていく前に、『スリー・ビルボード』にはキリスト教的なモチーフが貫かれているという例をいくつかご紹介しましょう。まず大前提として、3(スリー)という数は「三位一体」を想起させます。また、娘が殺された現場に現れた一匹の鹿にミルドレッドが話しかけるシーンも印象的です。鹿は、子羊(イエス・キリストを指す)や山羊(悪魔の象徴)のようにわかりやすいキリスト教的なモチーフではありません(「As the deer」という有名な讃美歌はありますが)。しかし、ミルドレッドは目の前に現れた鹿を亡くなった娘の生まれ変わりと想定しながら(同時にそれを否定しつつ)、こう語りかけます。「(まだ犯人が逮捕されていないのは)なぜかしらね。神はいないし、世の中が荒んでるから? そうは思いたくない」唐突に出てくる【神】というワードと、明らかに何かを象徴している鹿の存在は宗教的なイメージを観る者に与えます。
ある人物が馬小屋である決定的な行為を行うシーンも衝撃的です。馬小屋はイエスが生まれた場所ですが、そこでその人物はキリスト教における大罪を犯すからです。さらに、ミルドレッドが聖職者のスキャンダルを引き合いに出して神父の欺瞞を糾弾するシーンもあります。これらの要素が出てくる物語の前半は非情な現実や憎しみが溢れており、「神などいない」と絶望したくなるムードに満ちています。このように、要所要所でキリスト教的、宗教的なイメージを植えつけながら、物語はディクソンの変化を通じてガラッと雰囲気を変えていきます。
それでは続いて、ディクソンを変えた2つの出来事について見ていきましょう。
まず、ディクソンにあてたウィロビーの言葉は、まるでパウロによる『愛の賛歌』のようです(新約聖書コリントの信徒への手紙13章1-13節)。パウロとはキリスト教において最も重要な伝道者であり、師であるイエスの教えを生涯かけて伝え歩いた人物です。彼は諸教会に宛てて数多くのイエスの教えを説く書簡を残していますが(新約聖書に収められています)その中でも特に有名なものが、愛について語られた『愛の賛歌』です。「愛は忍耐強い。愛は情け深い」「(愛は)いらだたない」といった文言は「必要なのは愛だ。冷静さと思考は役に立つ。憎しみは邪魔だ」というウィロビーの言葉と重なる気がしませんか?
また、パウロは大きく変化した人物でもあります。彼は当初キリスト教を激しく迫害する立場にありました。しかし、イエスに出会い彼を信じたことによって、キリスト教を世界中に広める立役者へと変貌を遂げたのです。イエスの愛の教えがパウロを変えたように、ウィロビーの愛の教えはディクソンを変えたのではないでしょうか。
次に、自分を痛めつけた相手にオレンジジュースを注ぎ差し出したレッドの態度について考えましょう。この行為を見て私が思い起こしたのは、『善きサマリア人のたとえ話』(新約聖書ルカによる福音書15章25-37節)でした。このたとえ話は、強盗に襲われ瀕死のユダヤ人が道端に倒れていたのを見て、祭司など他の人間は立ち去ったのに、次にやってきたサマリア人は手厚く彼を介抱し、さらには宿屋に連れて行って銀貨を渡して世話を頼んだ、というもの。当時ユダヤ人から差別されていたサマリア人がとったこの行動こそ隣人愛そのものである、という教えです。終始自分を馬鹿にして敵意をむき出しにし、さらには物理的に激しく痛めつけてきた相手であるディクソンに対して、レッドは善きサマリア人のように憎しみではなく隣人愛を持って向き合い赦したのだと私は解釈しました。
人間は誰でも変わることができる
ウィロビーが教えてくれた愛の重要性と、レッドが示してくれた隣人愛と赦しのパワー。これらのシーン以降、ディクソンは前半とはまったく違う人格へと変化していきます。冒頭から一貫して神に対する猜疑心に満ちていた本作のムードは、このディクソンの変化と共に少しずつポジティブに転じていくのです。
一方で、ミルドレッドもいくつかの出来事を経て変わっていきました。彼女もまた、憎しみをぶつけるのではなく、謙虚な心を持って赦すことを学びます。そして、最初から対立し続けていたミルドレッドとディクソンはようやく互いを受け入れることができるのでした。その後ふたりが迎えたエンディングがどのようなものだったのかは、実際に本編を観て確認してください。
今作に登場するキャラクターは、誰もが欠点だらけです。特に、差別主義者で視野の狭いディクソンは、いまの分断された世界を象徴するような存在だといえるかもしれません。しかし、観客は彼の心の動きと行動を通して、人間は変わることができるという希望を見出すことができるのです。
憎しみに憎しみをぶつけても、さらに大きな憎しみが生まれるだけ。必要なのは“愛”と“赦し”である……これが、極めて複雑に構成された映画『スリー・ビルボード』から私が受け取った究極にシンプルなテーマです。“愛”と“赦し”を学ぶことによってディクソンが変われるならば、きっと私も変わることができる。多くの人が変わることができたならば、世界は変わる。この暗澹たる時代においては綺麗事に聞こえるかもしれませんが、私はそう信じています。
「必要なのは愛だ」というウィロビーの言葉が世界中の人々の心に響き、欠点だらけの人類の未来を明るく変えてくれることを願ってやみません。
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