自分ではどうしようもない事情で恋する人に会えなかったら、あなたはどうなりますか? 不安を自分の心の中にそっとしまって、じっと耐えながら涙を流しますか? それとも真っ直ぐに自分の気持ちを相手に伝え、ストレートに怒り悲しみますか?
1979年に公開された篠田正浩監督『夜叉ヶ池』は、権利の問題から今までビデオ化もされず、テレビ放映もほとんど叶わなかった幻の作品です。泉鏡花が夜叉ヶ池の竜神伝説を元に書いた戯曲の映画化で、歌舞伎役者の坂東玉三郎が初めて出演した映画でもあります。
当時すでに唯一無二の女形として一世を風靡していた坂東玉三郎が今作で演じたのは、池のほとりに暮らす美女・百合と、夜叉ヶ池の竜神・白雪姫の二役。人間界と物の怪の世界が混在するファンタジックな映像の中で、神々しいほどの美しさを放つこのふたりのキャラクターこそ、本作最大の魅力です。
学者の山沢(山﨑努)は、越前・三国嶽の山中にある竜神が封じ込められているという夜叉ヶ池のほとりで、百合という名の美しい女に出会います。なんと百合の夫は、2年前に夜叉ヶ池の調査に出たまま行方知れずになった親友・萩原(加藤剛)でした。萩原は以前ここを訪れた際、夜叉ヶ池の竜神を封じるため1日に三度鐘を撞いていた老人の死に立ち合いました。「鐘撞きの効果など迷信だ」と軽んじる村人たちに憤った萩原は、村に住む孤独な身の上の百合と結婚し、そのまま鐘撞き役を引き継いだと言います。
村では日照りが続いているというのに、なぜか百合たちの家の周りは常に夜叉ヶ池からの水が湧き出ています。坂東玉三郎扮する百合は、その水のほとりに腰を屈めた後姿で登場します。容姿や身のこなしの美しさが抜きんでている女形でありながら、最初に映画に現れるのはほとんど静止した状態の身体と声のみ。とても挑戦的な演出ではないでしょうか? ほとんど動いていないのに立ち上るような色気を感じさせ、女性らしい柔らかい声を響かせる百合。観客の好奇心を見透かしたように、山沢は百合の全貌へとたっぷり時間をかけて少しずつ迫っていきます。
最初は百合のことを「おばさん」などと呼んでいた山沢ですが、その顔を見た瞬間、あまりの美しさに息を呑みます。少し憂いを含んだ瞳、透き通った滑らかな肌、あらゆる所作に宿る気品……山沢が「この世の女ではないのでは?」と疑うのも無理はないと思うほどに、百合は村の雰囲気とは異質な美しさを纏っていました。
百合に出会ったことで世捨て人のようになってしまった親友・萩原を、山沢は連れ出そうと画策し、百合も愛する夫を山沢に奪われるのではと不安に襲われます。山沢と萩原が夜中に夜叉ヶ池へと向かってからは、百合は人形を胸に孤独な夜を耐え忍ぶことになります。愛する人への不安な気持ちを抱えながら、じっと帰りを待つ百合。坂東玉三郎が表現する百合を一言で表すならば、「静」でしょう。静かにぐっと想いを飲み込み、ひとり恋の切なさに苦しむ女性。「夜の長いこと長いこと」と呟く百合は、観ているこちらの不安をも掻き立てます。
一方、鐘によって封じ込められた竜神である白雪姫は、剣ヶ峰 千蛇ヶ池の若旦那に恋をしていました。エネルギッシュで行動的な白雪姫は、今すぐにでも剣ヶ峰に飛んでいきたいと騒ぎますが、周囲に諫められます。あなたが出て行けば大洪水が起こって村がなくなる。先祖が人間と交わした約束は守らないといけないと。それでも納得できない白雪姫は鐘を壊してしまおうとまで思い詰めるものの、歌を口ずさみながらじっと夫の帰りを待つ百合を見て冷静になり、彼ら夫婦のためにわがままな行動を思いとどまるのでした。
坂東玉三郎が演じるもう一人のヒロインであり、艶やかな衣裳に身を包み、華やかに登場する白雪姫。彼女はまさに「動」の人です。恋に身を焦がして最初から感情を爆発させている彼女は実にエネルギッシュ! 言葉遣いも少しお転婆で、周囲の大人(化け物たち)も手を焼いている様子。絶世の美女で勝気なお姫様といった雰囲気がとてつもなく魅力的で、目が離せなくなってしまいます。どちらかというとナチュラルな百合のメイクに比べ、白塗りでハッキリと女形のメイクをしている白雪姫が派手なのは当然なのですが、それ以上に坂東玉三郎が2人のキャラクターを明確に演じ分けていることに驚きます。動きの大きさ、視線を向ける範囲の広さ、感情が生まれてから放出するまでの時間の長さ、それらすべてが百合と白雪姫では全く違うのです。謎めいていて気持ちを内に秘める実に女性らしい百合と、どこかお転婆で活動的で、思ったことを口に出さずにはいられない白雪姫。どちらもこの世のものとは思えないほど美しく、一度見たら決して忘れられないほど印象的なヒロインです。
ひとりで留守番をする百合の歌声を聴いて、白雪姫は「恋しい人と別れているとき、歌を歌えればまぎれるものかい?」と呟きます。白雪姫は人間である百合の中に、自分と同じ恋する女性の切なさを感じ取りました。百合はじっと静かに耐え忍ぶ恋、白雪姫は感情を爆発させて求める恋。人間界と異世界の両方を描くこの映画の中心にあって、両者をつなぎとめているものこそ、坂東玉三郎が表現する「静」と「動」ふたつの恋なのだと思います。
干ばつに苦しむ村人たちは、百合を生贄にして竜神に捧げようと言い出します。嫌がる百合を無理やり引きずり出し、乱暴の限りを尽くす醜悪な人間たち。萩原と山沢は必死で百合を守ろうとしますが、心を痛めた百合は自ら命を絶ちます。怒り狂った萩原は鐘をつくことを止め、撞木の縄を切断。約束が破られたことで白雪姫は池を飛び出し、大津波によってたちまち村は消滅してしまいました。
村を消滅させる大洪水のシーンは圧巻! ブラジルのイグアスの滝やハワイをはじめとする海外でロケを行ったそうで、映画史に残る大スペクタクルを堪能することができます。こうして人間たちが一瞬で自然に飲み込まれていく中、自由になった白雪姫は、恋に生きられる喜びに震えながら「百合さん、お百合さん、一緒に歌を歌いましょうね」と亡き百合に語りかけます。愛のために命を絶った百合の気持ちを汲み、深く共感している優しい言葉。身勝手で醜い人間たちのエゴや暴力性が滅びた後に残るのは、坂東玉三郎が見事に描き出した百合と白雪姫の恋でした。
考えてみると、百合は萩原の過去や村の男たちに振り回され、白雪姫は先祖が勝手に決めた約束事に振り回され、耐えるしかない状況に置かれていました。自分とは関係がない事情によって、「好きな人といたい」というただそれだけの希望すら叶わなかったのです。坂東玉三郎が魂を吹き込んだ百合と白雪姫の恋を見つめながら、世界中にいるであろう、離れ離れになり苦しんでいる恋人たちに思いを馳せずにはいられませんでした。
- 17歳のエリオは、両親の「手放す愛」で、人を心から愛する喜びを知る。『君の名前で僕を呼んで』
- “未来”を「知る」ことは不幸ではない。 限りある“今”という時間を認識するきっかけとなる。『メッセージ』
- 衝動的で暴力的で滅茶苦茶。それこそが「思春期」。無軌道な子供達が、大人たちを軽やかに超えていく。 『台風クラブ』
- 家族を「喪失」から「再生」に導いた 「不在」の息子の姿 『息子の部屋』
- 「メリークリスマス、ロレンス」 ハラとロレンスの絶対的違いを超えた人間愛『戦場のメリークリスマス』
- 「必要なのは愛だ」 人間は愛と赦しで変わることができる 『スリー・ビルボード』
- 責任をあいまいにする、おとなたちへ『生きる』
- 「無力な女性」のラベルを引き剥がすクラリスのヒロイン像と、レクターの慧眼『羊たちの沈黙』
- スカーレットはいじわるキャラ?女性が自分で人生を決め、自分の力で生き抜くということ『風と共に去りぬ』
- 神々しいほど美しい! 人間と物の怪を「静と動」で魅せる坂東玉三郎の女形『夜叉ヶ池』
- 憧れの人に認められたい。秀吉と利休、強い羨望が憎しみへと変わるとき『利休』
- 不透明な未来に向けて選択するために、葛藤を繰り返しつづける。『日本のいちばん長い日』
- 真田広之と田中泯。役者の身体を通して「生」を取り戻す『たそがれ清兵衛』
- ひとりぼっちでも、孤独ではないのが“家族”。何よりもあなたの幸せを願う『秋刀魚の味』
- 「推し」に捧げた我が生涯に、 一片の悔いなし。情熱を傾けるものを見つけた人の強さは、輝かしい『残菊物語』
- 夫婦の極限状態がぶつかる、生々しい修羅場!不倫による裏切りで、人はどう壊れていくのか?『死の棘』
- 「みんな我慢しているから、あなたも我慢するべき」という同調圧力。“姥捨て山”のある社会にしないために『楢山節考』
- 「女性同士の対立」に見せかけた「確かな連帯」を描く『疑惑』
- “毒親”になってはいないか? 弱い者を支配してしまう危険性を問う『この子の七つのお祝いに』
- なぜ許されない!ただ生きて、愛しただけなのに。差別は、私の生きる世界で行われている『砂の器』
- ホラーよりも怖い!? 究極の恐怖が一人の父親を襲う『震える舌』
- 生きるか死ぬかを迫られたとき、 暴力にどう向き合うのか? 塚本晋也『野火』『斬、』
- 理解できない!それなのに、危険な存在に惹かれてしまう怖さって?『復讐するは我にあり』
- 大人になる前の一瞬の輝き。 『御法度』松田龍平演じる加納惣三郎の強烈な魅力とは?