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嗚呼、こんなにも魅惑的な登場人物たち! 第10回

「推し」に捧げた我が生涯に、
一片の悔いなし。情熱を傾けるものを見つけた人の強さは、輝かしい『残菊物語』

©1939松竹株式会社

「推し」に捧げた我が生涯に、
一片の悔いなし。『残菊物語』

突然ですが、あなたには「推し」がいますか?
「推し」とは、人や物を価値があるので用いるように勧めるという意味の「推す」から転じて、周りに勧めることができるほど好きである、応援したい対象という意味で使われるようになった言葉です。アイドルなどに対して用いられるようになり、世間一般に広まっていきました。

その「推し」のために、人生を捧げる人たちもいます。彼らは、仕事もプライベートもすべて推しのために費やします。推しの才能を信じ抜き、推しが成功することが彼らの目標になるのです。今回焦点をあてた80年前の映画に登場する人物も、推しに人生を捧げた女性です。

溝口健二が監督した『残菊物語』の主人公の一人・お徳は、歌舞伎役者の五代目尾上菊五郎の家で働く乳母。もう一人の主人公である菊五郎の養子・二代目尾上菊之助は、若旦那と呼ばれてチヤホヤされ、自分の芸が未熟なことに気付かないまま毎日遊び歩いていました。しかし、帰宅時に遭遇したお徳にそのことを指摘されて目が覚めます。菊之助はきっぱりと遊びをやめて真面目になりますが、お徳は菊之助との仲を怪しまれて解雇。その仕打ちに怒った菊之助は家を飛び出し、大阪で修行することにします。しばらくしてお徳もやってきて、2人は一緒に暮らし始めるのですが、不運が続いて旅回りに出ることになり、菊之助はすっかり腐ってしまうのでした。

『残菊物語』は献身的に菊之助を支えるお徳と、不器用で世間知らずながらも必死に頑張る菊之助のラブロマンスなのですが、私が恋愛要素よりも強く感じたのは、お徳の「推し」への情熱でした。

最初のうち私は、お徳が「菊之助さんの芸を良くしたいのです!」と何度も真剣に訴える姿の理解に苦しみました。なぜそんなことを堂々と宣言できるのだろう? だって、お徳の立場は義弟の乳母。芸にまったく関係がないし、演技経験すらないのですから。でも、お徳には何の躊躇もありません。菊之助を成功させたい!という願いが、彼女の中のどんな価値観よりも勝っているからです。

私は数年前までエンタメ業界の現場で働いていたのですが、就職した当初は「1度でいいから推しに会いたい!」というミーハーな気持ちを心の隅っこに持っていました(とはいえ、当時「推し」という言葉自体はありませんでしたが)。しかし、現場が長くなればなるほどその気持ちは薄れていきました。時が経つにつれ、かつて憧れていたエンタメ業界は日常となり、キラキラして見えた世界は完全な仕事場になっていったからです。次第に、どんなにビッグな有名人に会っても、仕事相手としか認識できなくなっていくから不思議です。周囲には「推しとは仕事で関わりたくない」と言っている業界人も少なくありませんでした。推しに対する憧れの気持ちをずっと保っていたいからです。

しかし、お徳は乳母の頃も、一緒に暮らしてからも、最初から最後までずっと「推しを立派な歌舞伎役者にすること」という想いを保ち続けていました。これを推しへの情熱と呼ばずして、他に何と呼べばいいのでしょうか?

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菊之助の成功を信じ、陰で苦労に耐え続けていたお徳。そんなお徳が秘めてきた情熱が、スクリーンいっぱいにあふれ出す瞬間が訪れます。菊之助が旅回りの役者としてボロボロになっていたある日、東京からの歌舞伎興行があることを知ったお徳は、本人に黙って菊之助の親友・福助の元に直接足を運び、菊之助をどうにか東京に帰したいと願い出ます。舞台で見せる芝居が良ければ、東京に連れて帰ってもらえることになり、菊之助に再びチャンスが巡ってきました。しかし、その条件はお徳が身を引くことでした。

お徳の尽力により歌舞伎興行にゲスト出演した菊之助は、見事な芝居をして大喝采を浴びます。上演の間、奈落で必死に祈り続けていたお徳は、喝采を耳にすると表に出て、恍惚とした表情を浮かべて全身で喜びを表現します。しかし次の瞬間、ふと我に返って涙に暮れ、地面に倒れ込んでしまうのでした。舞台の上で菊之助が大喝采を浴びるというのは、お徳がずっと夢見てきた光景だったはずです。何度も諦めかけた夢が実現した喜びと、菊之助と別れなければいけないという悲しみを同時に表現した名シーンです。

お徳は正真正銘すべてを推しに捧げた、筋金入りのファンだったのだと思います。だからお徳は、菊之助にすがりつくようなことは決してしません。菊之助が芝居を磨き、義父である五代目尾上菊五郎に再び認められて偉大な役者となるためならば、他のすべてを犠牲にします。男性としての菊之助への感情よりも、役者としての菊之助への情熱の方を常に優先させるのです。一緒に暮らして事実上の夫婦となったのも、孤軍奮闘する菊之助を叱咤激励するためであり、自分の恋愛感情を押し通したからではありませんでした。彼女は自分が孤独になるよりも、菊之助が成功せずに役者人生を終えることの方に恐怖を感じたのでしょう。控えめで感情を表に出さないお徳が無言で感情を爆発させた奈落でのシーンには、彼女の中に潜んでいた熱情がほとばしっていました。

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『残菊物語』は、一見すると男性のために女性が犠牲となった悲しい恋物語のように見えます。しかし、私はある意味でハッピーエンドだと感じました。それは、危篤にあるお徳がラストのシーンで、義父にも認められ晴れてお徳の元を訪れた菊之助に対して、最後の力を振り絞って伝えた、このセリフに表れています。

「あなたは立派な役者になってくだすった。旦那様はお許しくだすった。これであなたのお顔も見たし。もう何も思い残すことはありませんわ」

私は「これこそがお徳の本心だ」と感じました。菊之助への喝采を聞きながら喜びと悲しみの感情を爆発させていたお徳の願いは、この瞬間に完璧に報われました。唯一最大の願いは叶い、そのために犠牲にし続けた自分の存在も認めてもらうことができたのです。お徳にとって、これ以上ないほど幸せな最期だったのではないでしょうか。

憧れの世界で仕事をする夢が叶った私は、推しを持つという感覚を失ってしまいました。だから、お徳の人生を羨ましいとすら感じます。いまの私には情熱を傾けるものがないから、まったくブレることなく突き進むお徳の姿が眩しく見えるのです。大切な推しがいるあなたならきっと、お徳の気持ちを理解することができるはずです。

最後にひとつ。『残菊物語』のクレジットのトリ、溝口健二監督のすぐ後ろに筆頭助監督として名を連ねているのは、日本で最初の女性監督となった坂根田鶴子です。人生をかけて歌舞伎役者の芸の向上に尽くした女性の物語に、人生をかけて映画に尽くした女性が携わっているということに、もうひとつのドラマを感じるのは私だけでしょうか。

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FEATURED FILM
原作:村松梢風
監督:溝口健二
構成:川口松太郎
脚色:依田義賢
撮影:三木滋人/藤洋三
©1939松竹株式会社
明治時代初期の東京。人気が出て天狗になっていた二代目・尾上菊之助は、義弟の若い乳母お徳に自分の芸を批判され、そこで自身の名声が義父である五代目・尾上菊五郎の威光によるだけのものと気づかされる。やがて菊之助とお徳は心通わせるようになっていくが、周囲は身分違いの恋を危惧してお徳を追い出してしまう。絶望した菊之助は家を出て、大阪に出て芸を磨こうとするが……。
PROFILE
映画・演劇ライター
八巻綾
Aya Yamaki
映画・演劇ライター。テレビ局にてミュージカル『フル・モンティ』や展覧会『ティム・バートン展』など、舞台・展覧会を中心としたイベントプロデューサーとして勤務した後、退職して関西に移住。八巻綾またはumisodachiの名前で映画・演劇レビューを中心にライター活動を開始。WEBサイト『めがね新聞』にてコラム【めがねと映画と舞台と】を連載中。
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